2007.08.04 Saturday 01:15
くっくり
左の方へ左の方へが、どのくらい素晴らしく利のあることだと思っているのか、寄席芸人ではなく政治家なのだから、その部分の主張と説得を語るべきであっただろう。
このことに関して、某局の某番組のベテラン女子アナが、「さすが真紀子さんですねえ」と持ち上げていたが、横にいた若手―中堅か―の女子アナが、「六十分であれだけではね」とバッサリと斬った。
おそらく、後者の感想の方がニュートラルで世論に近いと思うのだが、古い古い体質のテレビは、まだ田中真紀子議員の一発毒舌を面白いと思っている人がいる。
こんな人たちの、敬意に欠けたご期待に答えて、笑いを考えなくてもいいのにと、ためいきとともに思う。
平成十九年一月十七日 雨
今日は、阪神淡路大震災から、まる十二年にあたる。不幸にして亡くなられた方には十三回忌になる。一九九五年(平成七)年一月十七日午前五時四十六分、ぼくは神戸も淡路も深い縁があるので、それはまだ、よく記憶している。
(中略)神戸の廃墟の風景は何を教えたか。繁栄の時間は一瞬で逆行するということだ。アッという間に神戸の街は、繁栄の近代都市から、一九四五年(昭和二十)年、第二次世界大戦の焦土の街に戻ってしまったのだ。五十年間は何だったのか。
科学文明が進み、不可能はないと豪語し、それを享受していたが、大地震一発で、それらのすべてが無力になる。本来こういう時にこそ役に立てたいクルマが使えない。世界中ネットワーク出来ると誇っていた電話も、ほとんど通じない。家族の安否さえ確かめられないのである。
結局、焼け跡や廃墟の壁に、五十年前と同じように、連絡先を書いた立て札を立てたり、貼り紙をしたりすることになる。「○○家無事、××に連絡を下さい」――何が科学文明は幸福をもたらすだ。涙の立て札に勝てないではないか。
ITよ、この時の赤っ恥を思うと、もう少し謙虚になっていい筈なのだが、今、ますます威張り返り、二十一世紀の神だとでも言いたい態度でいる。全く、そんなことがあったかいなというトボけた顔で、通信は世界を繋ぐ、人を繋ぐなどとホザいているのだ。赤っ恥からまだ十二年なのに。
平成十九年四月三十日 晴
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