追悼 阿久悠さん

2007.08.04 Saturday 01:15
くっくり



 《引用者注:村上ファンドの村上世彰の逮捕について》

 逮捕の前に講演会のような記者会見をして、そこで一応、罪を認めるとか、謝罪するという形を取ったのだが、テレビを通して見たり聞いたりした感じでは、「私が悪い」も、「私の罪だ」も、「謝罪する」も、「残念だ」も、ぼくの持っている辞書とは言語解釈が全く違っているのではないかと思った。これらの言語は、威張った姿勢で昂揚して、ハイトーンで語るものではないのである。

 結局は自らのことを「プロ中のプロだ」と世間に念押ししただけに過ぎない。

 ぼくはもう二十年も前からくり返し、日本人が悪く卑しくなったのは、「あの人は金儲けは下手だけど、立派な人です」という評価がなくなったからだと云っているが、まさにそれを証明するような会見だった。

 こうなれば意地になって、金儲けは下手で立派な人を探さなければならない。

平成十八年八月七日 晴

 車中、ボクシングのことを考える。もちろん出がけに見たテレビでの、亀田父VSガッツ石松・やくみつるの激論に端を発している。

 現在の異様な祭りじみたボクシングブーム――亀田一家とTBSと協栄ジムを頂点とした――が、どうのこうのとは言わないが、ぼくの胸のうちにあるボクシングの風景、あるいは、響きや匂いといった文芸的刺激とはこういうもので、それがたまらなく好きだったということは、確認しておきたい。

 (中略)昭和三十年代で、何がきっかけかボクシングブームになり、テレビも民放各局がゴールデンに放送枠を持っていたが、それでもぼくは、主として後楽園ホール、特に浅草公会堂、世界戦は両国の旧国技館や後楽園球場で見た。そこに空気があり、匂いがあったからである。

 会場は暗かった。リングの上だけに照明があり、リングは手術台のようであった。そこで二人の男が、おたがいの生活と、さらに人生を手術し合う。静寂が常であった。騒ぐと、リングを中心に満ちている何ともいえない緊張感、あるいは殺気、闘うことの逃れ難い悲愴が消えそうであった。

 音楽はない。手拍子もない。声はある。死ぬことを促す残酷な発破と、負けを許さない覚悟を強いる檄が飛ぶ。そして、少数の笑い声。やがて始まる孤独な男たちの、何かを求めての黙々としての闘技。皮の塊が肉を叩くドスドスという音。キャンパスをシューズの底が擦る小動物の悲鳴に似た音。挑む目。怯えた目。腫れた瞼。滲む血。なのに規則正しい呼吸。一瞬のクリーンヒット。顳●(こめかみ。●=「需」ヘンに「頁」)はテンプル。顎はジョー。顎先はチン。美しいと息を呑む飛び散る汗。肉眼なのにスローモーションで見える。

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