2007.08.04 Saturday 01:15
くっくり
だから、あれ以後も平気で超高層ビルを林立させるし、超特急は走らせつづける。人間は懲りない。人間はすぐ忘れる。人間は都合を優先する。挙句、一度起こったところはもう大丈夫的な非論理を言う人も出て来る。ハシカではないのだから、隙間だらけで標的の価値があれば何度も起こるだろう。
(中略)国会議員は何を見ているのだろうか。国会議員の視力と視野の結像能力(ピント合わせ)を知りたいと思う。この日、世界が驚愕しているのに、テレビに映った日本の国会議員は、反小泉の「造反有理」を叫ぶ人の顔であった。
平成十七年十二月十日 晴
《引用者注:京都府宇治市の小六女児殺害事件で学習塾講師逮捕、栃木県今市市の小一女児殺害事件発生などに触れた後》
この国の人々は一体どうなってしまったのかと慄然とする。一体何を得る代償に魂を売り渡してしまったのか。
腰が退(ひ)けた理想論を語り合っている間に、悪魔が棲みついてしまったか、としか思えない。悪魔は悪相ではなく、愛想よくエゴの隙間に入り込んで来るのである。六十年あれば体内に居場所くらい作るだろう。
この国の人々はどういう育ち方をしたのか。本当の恐怖と本当の憎悪を知らない人間は、恐怖や憎悪を場違いの時に発揮する。
これはもしかして幸福病、みんなに同じ分量の幸福が分配されるものだと信じている、幸福平等主義の祟(たた)りかもしれない。
平成十八年二月十一日 晴
《引用者注:トリノ冬季五輪開会式について》
ぼくもいくらか経験があるが、このての大イベントの演出に盛り込む、「かつてあった国の姿」と「今ある国の力」と「やがてある国のあり方」のどれかに、照れるものである。あざといようですが、やっぱり伝えなきゃならないでしょう。今さらですが、という腰のひけ方だ。しかし、今日、トリノの演出をお見事と感じたのは、その腰のひけがないことで、テンコモリの要素がそれぞれに誇らしげであった。
ただ、「イマジン」はどうかな。ずいぶんと好評だったようだが、現代の平和のメッセージとしては、そよ風に過ぎる感じがしないでもない。名曲で好感曲だが、平和を背負わせたり、平和のイメージに使われると、心地いいだけに、平和が少したやすいものに思われてしまう危険があるのではないかと、チラと感じたということだ。チラとね。それ以上の感想ではない。
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