2007.08.04 Saturday 01:15
くっくり
ぼくらは幸福だった。ほったらかしだった。被害を受けるという思いはなく、被害を与えそうな素質だけを、時々の鉄拳で正された。ぼくらは、まず生きるための野生を身につけ、その次に、社会で存在するためにそれを洗練させるというのが順序だった。
子も親を十二歳まで壁と考え、親も子が十二歳になると、やせがまんでも背中を向けて自立を促した。だから、ぼくらは、勝手に転がる石になれたのである。
転がる石はどこへ行く
転がる石は坂まかせ
どうせ転げて行くのなら
親の知らない遠い場所…
などと言えない社会を誰が作ったか。
子どもが減ってはいけない。それは、今ある社会を維持するために必要ということではなく、国の活力として子どもがほしい。
平成十七年六月八日 曇
《引用者注:サッカーW杯ドイツ大会のアジア地区最終予選、日本が北朝鮮代表に快勝した試合を見て》
そこで、ふとぼくは、いつもの悪い癖で冷静になる。歓びながらも考える。
それは、日本代表はどうして全員がミッドフィルダーに見えるのだろう、ということだ。攻撃のフォワード、防衛のディフェンスももちろん立派に機能しているのだが、タイプは、頭脳を効かして指令塔の役を果たす、あるいは、自由に泳ぎまわるミッドフィルダー的である。
何やら全員がスマートに振舞いたい、兵隊と汚れ役をやりたくない日本社会の縮図に思えた。このての読み過ぎは全く悪い癖だ。
平成十七年七月七日 曇
《引用者注:2012年五輪開催地に決まった翌日、ロンドンで起きた同時多発爆弾テロについて》
災害は忘れた頃にやって来るというが、犯罪も同様で、忘れた頃を見澄ましていたかのようにやって来る。
二〇〇一年九月十一日で、あれほどテロに対する恐怖と怒りを感じていたのに、三年半が過ぎると、どこかフィクション化してしまっていたようなところがある。
人は恐怖や憎悪にさえ慣れるということか。普通に暮らす普通の人々の心も、普通を普通であらしめるために戦う為政者の気持ちも、一瞬の狂気の時を過ぎると、意に反して忘れてしまう。
都合のいいことだけを逆利用するが、肝心の安全対策や正義の行使は済(な)し崩しにして、単なる「伝説のオバケ」にしてしまっていたのだ。
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