追悼 阿久悠さん
2007.08.04 Saturday 01:15
くっくり
阿久 悠 1937年(昭12)2月7日、兵庫県津名郡鮎原村(現・洲本市五色町鮎原)で生まれた。明治大学文学部卒、同大学院修士課程修了。広告代理店「宣弘社」で番組企画、CM制作などに携わった後、フリーに。ペンネームは「悪友」から。67年、初めてレコードA面のザ・モップス「朝まで待てない」を作詞して以来ヒットメーカーに。99年、スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞。
阿久悠さんといえば、誰もが名前を知っている超売れっ子の作詞家。
それ以上のことは特に意識していませんでした。1979年夏の甲子園、この名試合に捧げた阿久悠さんの詩を読むまでは。
・箕島対星稜 (第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦)〈Wikipedia〉
私は当時和歌山に住む中学生でした。当然、箕島高校を応援していました。
この試合のことは一生忘れません。今思い出しても鳥肌が立ちます。
試合の翌日だったか、新聞でこの試合をテーマにした阿久悠さんの詩を読んだのです。さらに感動の度合いが増しました。
28年も前のことですからあまりよくは覚えてないのですが、このような文言が散りばめられていたと思います(覚えてる方がおられたら教えて下さい)。
“何と表現すればいいかわからない”
“「奇跡」と呼ぶのはたやすい。しかし「奇跡」は一度だけだから「奇跡」なのであって、二度起これば「奇跡」ではない”
“君たちが去った後、甲子園は秋になった”
大好きだった箕島高校が甲子園に出なくなって以降(智弁などの私立校が和歌山に進出してきたため、公立の箕島には厳しい状況になってしまったのだろうと推測しています)、私はすっかり高校野球には興味を失ってしまいました。
そういうこともあって今まで知らなかったのですが、阿久悠さんは2003年(平成16年)までの26年間、夏の高校野球の全試合を観て、1日1篇の詩を書かれていたそうです。
スポニチ紙上でこの「甲子園の詩(うた)」の連載がスタートしたのは、奇しくも箕島対星稜の名試合があった1979年(昭和54年)とのことです。
2004年以降は1日1篇というのはなくなったようですが、特別篇として準決勝、決勝の詩は書かれていたみたいです。
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