「原爆投下はしょうがない」発言について

2007.07.01 Sunday 05:30
くっくり



 あのインドのパル博士(東京裁判の判事の一人)も、以下のように指摘しています。

広島ぶらり散歩>原爆死没者慰霊碑碑文・主語をめぐる論議など
本川小学校で開催された世界連邦アジア会議に出席した印度代表ラダ・ビノート・パル博士が慰霊碑に参拝して碑文に疑問表明。

「『過ちは繰返しませぬから』とあるのはむろん日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」

 上記サイトによれば、1970年2月に「原爆慰霊碑を正す会」が発足、 碑文は屈辱的で20数万人の犠牲者の霊を冒涜しているとして、抹消を求めたそうです。
 同年8月、山田節男広島市長が記者会見し、「碑文の主語は世界人類であり、人類全体への警告、戒めである」と説明しました。
 碑文にまつわる論争はここでいったん決着したらしいです。


 が、最近、碑文の主語の一つは「日本」である旨の発言を河野洋平がしています。2005年8月6日に広島で行われた平和記念式典におけるスピーチの中で、です。
 スピーチの大要はこちらにあります。

 スピーチ全文がどこかにないか探したところ、この日に報道関係に配られた紙を、その後評論家の森田敬一郎氏が入手し、ブログにUPされています。
 一部引用させていただきます。

(前略)ここ、広島平和公園の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この「過ち」とは何でしょうか。

 一つは、わが国、日本が明治維新以後、60年前の原爆投下の日まで、アジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことであると思います。欧米列強から独立を守るため、明治維新で近代化を成し遂げたわが国には、「アジア諸国が独立と民主主義を求める戦いに連帯する」という「もう一つの選択肢」があったにもかかわらず、実際に歩んだのは「日清・日露戦争後に韓国の独立を奪い、中国に軍事介入し、自らの支配を押しつけ」ようとする、欧米列強と同じ帝国主義の道でした。

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