慰安婦問題「寝た子を起こすな」でいいの?
2007.06.30 Saturday 03:23
くっくり
「やりきれない」?「恥ずかしい」?
臆面もなく、よく言えますね。まったく、自分たちがこれまでやってきたことを棚に上げて、何を言うのかと。
拙ブログでも何度か書いたと思いますが、もとはと言えばこの問題は、朝日新聞の捏造から始まったのです。
ちょこっとおさらい――。
慰安婦問題を遡っていくと、吉田清治という元陸軍兵士が1983年に出版した手記「私の戦争犯罪/朝鮮人強制連行」に行き着きます。
吉田はこの手記の中で、「済州島で朝鮮人女性250人を、慰安婦にするために狩り出した」と証言。
これを朝日が何の検証もなく鵜呑みにして紹介。それ以降、大阪本社版を中心に展開した一連の報道がありました。
ところが吉田証言は1989年8月、すでに「済州新聞」の女性記者・許栄善による現地ルポと、郷土史家・金奉玉の追跡調査で、「裏付けのないもの」と指摘されていたのです(その後1992年、秦郁彦教授も済州島で現地調査をし、吉田証言のウソを暴いています)。
朝日としては、何とか吉田証言を裏打ちする“生き証人”がほしかった。
そこで出してきたのが、植村隆記者による有名なスクープ記事。
1991年8月11日の朝日新聞大阪本社版社会面トップ掲載された、【元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く】【思い出すと今も涙】【韓国の団体聞き取り】と見出しが打たれた記事です。
書き出しはこうなっていました。
(先の大戦中に)「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた。
傍線部分は、翌日掲載の東京本社版朝刊では削られており、縮小版にもないそうです。
この記事の問題点。
(1)生存を確認された元慰安婦として、訴状や記者会見で体験を証言した金学順が、実は公娼「妓生(キーセン)」として売られた境遇にあり、「旧軍による連行」を確証できなかった。
(2)「女子挺身隊」は1943年に制度化され、軍需工場などへ動員された女子勤労奉仕隊。金学順が「女子挺身隊の名で連行された」とした1939年には、まだその存在さえなかった。
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