2006.05.01 Monday 00:56
くっくり
<絶望の淵に追われた日本>
過去の人びとの息づかい、過去の人びとの心の奥を考察しようとするとき、ついつい、現在の価値観を物差しにしてしまい、複眼的に考えることを忘れてしまいがちである。
それが理由であろう。だれもが言いそびれてしまっていることがある。それを記したい。
日本経済建設に取り組んだエコノミストのひとり、金森久雄氏が戦後の経済の成長はなぜであったかを説いて、「第一に人間である」と述べた。
京都大学政治学教授、京極純一氏は、「堅気の生活者が日本を現在の姿につくりあげたのだ」と叙述した。
昭和二十年、二十一年、敗戦後の日本に戻ってみよう。私が以前に記した文章を、そのまま写すのを許していただきたい。
「日本はすべてを失った。息子を失い、夫を失い、兄を失い、親を失い、町という町を失い、住まいから学校、寺院、神社までを失った。
大商船隊を失い、世界最大級の満州と北朝鮮とのあいだの水力発電所と世界一となるはずの化学コンビナートを失い、南満州鉄道、台湾の製糖工場を失った。そして満州、朝鮮、台湾、その他、海外にいた日本人は、その資産のすべてを失い、着の身着のままで日本に戻ってきた。国内の焼け残ったすべての軍需工場、製鉄所、火力発電所、化学工場の大半を失うことになるはずだった。
そして日本人は名誉も失った。瓦礫(がれき)と灰燼(かいじん)のなかで、貧しさと飢えに苦しむ日本人は世界中から罵詈(ばり)雑言を浴びせられた。恥辱のなかで生きていく日本人は自信を持つことができず、なにごとにたいしても確信が持てなかった」
こんな具合に私は記した。
日本の政治家、企業家、経済専門家のだれもが、日本が昭和初年の生活水準に戻るのは五十年、六十年さきになると想像した。
<社会秩序の崩壊防ぐ思い>
それでも、日本人は四つの島のなかで生きていかねばならなかった。どうあっても日本を再建しなければならず、いつか力を取り戻し、名誉を回復しなければならなかった。
なによりもまず、だれもが天皇を守ろうとした。その願いは社会秩序の徐々なる崩壊を防ぎ、明日にしっかりと立ち向かおうとする心構えと重なっていた。
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