誰がために散る もう一つの「特攻」(1)〜(5)

2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり



 「回天戦用意」。艦長の大場の号令に、6人は交通筒を駆け上がって回天に乗艇した。午後2時25分、大場の指示で回天を艦に固定する固縛バンドが音を立ててはずれる。「発進」。勝山艇が出撃。約40分後、大場は潜望鏡で黒煙が立ち上る敵艦を確認した。

 引き続きバシー海峡東方海域で索敵を継続した伊53潜は29日、十数隻の大輸送船団のど真ん中にいた。川尻が出撃。約1時間後、大音響が響いた。17歳11カ月。最年少の川尻は遺書にこう書き残している。

 <身は大東亜の防波堤の一個の石として南海に消えゆるとも、魂は永久に留まりて故郷の山河を同胞を守らん>

 8月4日、頭上を駆逐艦が通過した瞬間、爆雷が至近距離で爆発した。伊53潜は回天の許容深度(40メートル)を超える80メートルまで急速潜航し、回避を続けた。爆雷が至近距離で爆発するたびに艦体は激しく振動し、艦内の器具は散乱。主蓄電池が破損し、一切の動力が停止、艦内の電灯は消えた。

 「われわれは回天で突入することを本望としております。このままでは死に切れません」。関の一言で大場の腹は決まった。

 残る4人の搭乗員は懐中電灯のほのかな明かりを頼りにそれぞれの回天に乗艇。訓練しなかった深度40メートルからの発進だ。午前2時半、関艇が出撃し、20分後に荒川艇が続いた。

 竹林の番がきた。大場と電話で話すうちに「少し頭が痛みます」と言った後、音信が途絶えた。竹林は操縦席で意識を失っていた。激しい爆雷攻撃で四塩化炭素の容器が破損してガスが艇内に充満、竹林は中毒で意識を失ったのだ。

 坂本の6号艇も機雷の爆発で酸素パイプに亀裂が入り、圧力計が下降。艇内の空気が上昇し坂本も意識を失っていた。

 伊53潜は12日、大津島に帰還。3日後の15日に終戦を迎えた。

■  ■

 金剛隊として出撃した都所静世=当時(21)=は出撃前、艦内で義姉に遺書を遺している。

 <それにつけても、いたいけな子供達を護らねばなりません。自分は国のためというより、むしろこの可憐な子供たちのために死のう>

 竹林は現在、JR岩見沢駅から車で10分余りの老人養護ホームで妻と暮らす。

 「命令されたからといって死ねるものではない。国や家族を守ろうという気持ちがあるからこそできるのだ」

 「今の子供たちの考えが信じられない。価値ある死を選んだ者を見てきた立場では、それは命を軽んじることで理解できない」

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