誰がために散る もう一つの「特攻」(1)〜(5)

2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり



 <まだ吾が国体の尊厳なるを自覚致し候はず、徒に戦局の勝敗に拘泥致し、利欲に走り候輩多数居り候と聞き及び候は残念の極に御座候。一日も早く国の内外を問わず完全一体となり、勝利に只管突進致され候如く、皇国の空より常に御祈り致し居り候>

 =敬称略
(宮本雅史)


産経新聞朝刊大阪版07年6月7日付社会面掲載
誰がために散る もう一つの「特攻」(3)

【価値ある死】現代の命軽視 理解できぬ


 沖縄が玉砕し、いよいよ敗戦が色濃くなった昭和20年7月14日。大津島の回天基地では午前8時から「多聞隊」の決別式が行われた。搭乗員は錦織りの袋に収められた短刀を受け取ると、6基の回天が搭載された伊号第53潜水艦(大場佐一艦長)に乗り込んだ。

 海軍兵学校73期の勝山淳、兵科1期予備生徒出身の関豊興、甲飛13期の荒川正弘、川尻勉、坂本雅刀の5人に交じって竹林(旧姓・高橋)博(82)の姿があった。

 瀬戸内海はキラキラと輝いていた。伊53潜は沖縄とフィリピンの中間海域を目指して出航し、6日後にバシー海峡の東方海域に到着した。

 艦内で回天搭乗員は同室で待機する。読書や囲碁に興じながら、敵艦隊に遭遇するたびに交通筒を駆け上がり回天に乗り込む。そんな日が何日も続く。

 「まな板のコイどころではなかった。早く出撃させてくれ。毎日がそんな気持ちだった」と竹林は振り返る。

 遺書や日記をつけることも忘れなかった。関は人生記録の中で次のようにつづっている。

 <死は遂に免れるべからず。されば余は、永遠の生を求めん。(略)されど、死を決意し、それに着手する人間の心理過程は、決して簡単なるものでも、容易なるものでもない。それを苦しみながら、終に結論に到達する。それは人間という一事である>

■  ■

image[0706dagatame-3.JPG]

【写真】出撃を前に整備兵らと記念撮影。どの顔にも憂いはない。

 大津島を出航して10日後の7月24日、戦車揚陸艦など17隻の大輸送船団を発見した。

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