誰がために散る もう一つの「特攻」(1)〜(5)

2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり



 覚悟ができていたとはいえ、操縦席に腰を下ろしハッチを閉めた瞬間、孤独と恐怖が迫ってきた。訓練を終えて外気に触れた瞬間、生きていることを実感した。

 訓練は、夜間、ヘッドライトをつけないで車を運転するようなものだった。1人で航海長や機関長の役もこなす。経験を積むよりほかになかった。

 甲飛第13期で全国回天会事務局長の河崎春美(83)は「航空特攻は、飛行機乗りとして訓練を受けていた者が特攻隊員になったが、回天の搭乗員は死ぬために一から訓練を受けた。だから、与えられたチャンスを十分に生かして死なないといけないと思うようになった」と振り返る。

 訓練中も戦局は悪化の一途をたどっていった。20年3月10日未明には、B29が来襲、下町を中心に東京を焼き尽くした。

 同年5月5日と7月20日に出撃、回天の不具合で帰還した吉留文夫(80)は「あちこち空襲を受け、子供たちまで焼き殺されている。絶対に食い止めなければいけない。そのために絶対に敵艦に命中させなければいけないと、そればかりを考えて訓練していた」という。

 戦況の悪化は隊員たちへの出撃への思いを駆り立てた。竹林は「大津島には志願者があふれた。全員が『男子として死に場所を得たり。この本懐につくるものなし』という気持ちで先を争って出撃を希望した」と話す。

 当時、小学5年生だった周南市回天記念館の安達辰幸(74)は「彼らは生き神様と呼ばれていた。現代の感覚でかわいそうという人がいるが、隊員の気持ちを理解するには、当時の時代背景や価値観、当時の目線で見ないと分からないと思う。18歳や19歳の人でも、わずかな犠牲で多くの日本人を救うんだという自負があった」と語る。

■  ■

 甲飛13期生の森稔は20年1月12日、19歳で戦死した。出撃前にしたためた遺書にはこうある。

 <日本男子として生を享け、君国の御楯として軽き一命を捧げ奉る、これより快なるは候はず、唯々吾が全力を傾注して任務成就に突進致し敵をして再び起つ能はざる如くせしめ、神国日本の底力と神州男児の意気を示さむと存じ候。此の一挙別段事新しきことに候はず>

 <壮途につくに及び今更事新しく言ひ遺すこと更に無く候へども、生来の愚生何一つ御恩に報いず能はざりしは残念至極に存じ候。此の一撃により御恩の万分の一にも報ずるを得候はば喜びの極に存じ候>

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