誰がために散る もう一つの「特攻」(1)〜(5)

2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり



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【写真】「回天」。だれも目のついた魚雷を想像できなかった

●人間魚雷「回天」
 93式酸素魚雷に手を加え、人が乗って操縦し敵艦に体当たりする旧海軍が開発した特攻兵器。全長14.75メートル、全重量8.3トン。
 航続距離は30ノットで23キロ、12ノットで78キロ。中央の床(操縦席)に搭乗員が1人腰を下ろし、長さ1メートルの特眼鏡(潜望鏡)で観測しながら操縦する。
 回天作戦は昭和19年秋から20年8月まで続けられ、搭乗員は1375人で、うち106人(殉職者を含む)が亡くなった。


産経新聞朝刊大阪版07年6月6日付社会面掲載
誰がために散る もう一つの「特攻」(2)

【死の宣告】孤独と恐怖…押し寄せ


 甲飛13期生の竹林(旧姓・高橋)博(82)ら予科練出身の搭乗員100人が、山口県周防灘の入り江に浮かぶ大津島に着いたのは昭和19年9月21日のことだった。

 食料、雑貨など日用品の積み降ろしを終え、魚雷の調整工場の保管庫に集まると、中は黒い分厚いカーテンで仕切られていた。板倉光馬少佐がそのカーテンを開けながら言った。

 「これが貴様たちが乗る人間魚雷だ。一度出発したら絶対に帰れない。よく見て、そんなつもりはなかったと思う者は遠慮なく申し出ろ。おれが責任を持って原隊に帰してやる」

 竹林は今にも爆発しそうな黒い塊に震えを感じた。しかし、しまったとは思わなかった。「いつでも死ぬ覚悟はできていましたから」。辞退する者は1人もいなかった。

■  ■

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【写真】要塞(ようさい)のような魚雷発射場跡。ここで、連日訓練が行われた=山口県・大津島

 操縦訓練はすぐには始まらなかった。訓練用の回天が3基しかなかったのだ。訓練は出撃順に行われた。「明日から訓練」と言われることは死の宣告を意味した。

 竹林が初めて回天に乗ったのは翌20年3月末。赴任して半年後だ。第一印象は「油くさくてどうしようもない」。パイプなどの間に漏洩(ろうえい)防止の油を塗ってあるため、艇内には油のにおいが充満していた。操縦席は狭く、右足は曲げたままで、左足はやっと伸ばせるほど。

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