2007.06.24 Sunday 01:39
くっくり
宮平さんの話を聞いて私たちは、追いつめられたということだけで住民が自決に至ったわけではないとの思いに至った。本土並みを希求した沖縄人の<自分たちは真の日本人なのだ>という気概が「古来の風習(日本の武士は落城に際して、潔く自刃して城と運命をともにする)」に則った自決へと導いたのではないかと感じた。農民出身ゆえに武士以上に武士道を実践した新撰組・近藤勇らの心情に通じる気迫を感じた。
そして宮平さんは、「自決はあくまで『役場主導』だった」ときっぱりと言われた。
梅澤隊長の人物像について「隊長は28歳にして少佐です。エリートです。すごい軍人であり、人間的にも素晴らしい人でした。たいへん落ち着いている人で、信頼して部下に任せるタイプです」と伺った。後年、梅澤氏自身が「軍人は民間人に『死ね』などとは絶対に言わない」と明言されたように、責任感に溢れる隊長であった。
「住民スパイ虐殺説」に関しても、興味深い証言をされた。よく言われているような「言葉(方言)で住民をスパイ扱いしたわけではありません。実際にスパイはいました。移民のハワイ日系社会と通じていた」のだそうだ。宮平さん自身、夜中に高い崖の上から沖合に向けてチカチカと発せられる懐中電灯の光を何度となく目撃している。何らかの信号を米艦隊に向けて送っていたのであろう。しかし、「梅澤隊長は終戦が間近であることを察知してか、スパイの住民を見逃していました。そのため、住民の悪感情は全くありません。他の島ではスパイが見つかったら処刑したから住民殺害説が出来上がったのでしょう」とのことである。
また、軍が渡したとされる手榴弾について、「女子青年団(*軍属のような形で軍に協力した)は、手榴弾を渡されて所持していました。しかし、その他の手榴弾はどこから持ってきたものかわかりません。兵といえども、3名に1丁の三八銃がある程度。だから、住民には請われても渡せません。たぶん島の防衛隊(*民間人で結成された防衛組織)か住民が、軍の保管場所から勝手に持ってきたものでしょう」とも聞いた。
偽証による補償金問題に関しては、「これはもう、どうしようもなかった」という。一同、島民の苦難と悲劇に思いを致した。それでも「この座間味は真実を言いやすい空気」だという。なぜなら、自決命令を出した村の三役自らが自決して亡くなっているからだ。それに対して渡嘉敷島では「命令者の村長始め、村のリーダーが戦後も存命だったから、大っぴらに言える空気ではなかった」のだ。
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