2007.06.24 Sunday 01:39
くっくり
真相の解明がおくれたのは、別の事情もあった。遺族が厚生省(当時)の援護年金を受給するには、軍命令があったという形式を取る必要があり、両守備隊長も「お世話になった村のために」と了承し、沈黙を守りつづけた。
そこで90歳の梅沢元少佐(と赤松氏の遺族)が「汚名」をそそごうと、作家の大江健三郎氏(と岩波書店)を相手どって平成17年夏、謝罪と著書『沖縄ノート』の出版差し止めなどを求め大阪地裁へ提訴したとき、私はついでに沈黙を守ればよいのにと思わぬでもなかった。
だが、くだんの『沖縄ノート』を読んで、その思いは砕かれた。大江氏は両守備隊長を集団自決の命令者だという前提で、「ペテン」「屠殺(とさつ)者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮(さつりく)で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべき」と「最大限の侮蔑を含む人格非難」(訴状)をくり返していたからである。
しかし、他の孫引き本がほとんど絶版となっているのに、この本は昭和45年の初版から修正なしに50刷を重ね、現在も売られているのは信じがたい事実だった。
こうした稀(まれ)にみる人権侵害的記述を有名文学者だからという理由で、許容する余地はないと私は感じている。
≪「自決せず生きのびて」≫
裁判は進行中だが、原告側は座間味村役場の援護係だった宮村幸延氏が昭和62年に、集団自決は当時の村役場助役の命令だったが、遺族補償のため梅沢守備隊長の命令として申請した事情を記して、梅沢氏へ渡した「詫(わ)び状」を提出した。梅沢氏の無実を証する決定的証拠といえるもので、文科省の検定でも援用された。
これに対し大江氏側は「詫び状」は宮村氏を泥酔状態に陥れハンコを押させたとか、守備隊長と記し実名は書いていないから特定できぬはずだとか、日本軍全体の非人間性に目を向けろ式の見苦しい弁明に終始している。
その半面、法廷記録から浮かびあがってきたのは赤松、梅沢両氏のすぐれた人間性であった。25歳、27歳の若さなのに彼らは絶望的な戦況下、数百人の部下と島民をまとめ、冷静、沈着な判断力で終戦までの5カ月をしのいだ。「自決するな。生きのびなさい」と指示したのに、米軍の砲火でパニックに陥り死を選んだ島民を思いやって「汚名」を甘受した2人に比し、「現存する日本人ノーベル文学賞作家」の醜悪な心事はきわだつ。「私自身、証言に立ちたい」(17年8月16日付朝日新聞)と公言した大江氏は法廷で何を語るのだろうか。(はた いくひこ)
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