これでいいのか皇室報道

2007.06.09 Saturday 02:39
くっくり


 
 
(1)「SAPIO」5/9号:大原康男・國學院大学教授【皇室報道の暴走をもたらした実体なき「開かれた皇室」論】より引用
 振り返ってみると、皇室に対する尊崇の念を排除しようとした、GHQの言論空間に始まった、戦後日本の皇室報道は、「親愛」をベースにした皇室ブーム、「開かれた皇室論」を経て、現在に至ったといえよう。どこに問題があったのかといえば、私は今日の異様な報道の鍵となるのは、「開かれた皇室」という実体なきキーワードではないかと考える。

 「大衆天皇制論」(引用者注:今上陛下と皇后陛下のご成婚当時に、松下圭一・法政大教授が唱えた論)で指摘されたのは、「尊崇から親愛へ」であった。しかしながら、尊崇と親愛とは、本来、対立する概念ではない。皇室に対する国民の親愛感とは、長い歴史と伝統を背負われ、日本人の国民的連帯性と歴史的共通性を体現されているという、皇室がもつ一種の尊厳性に向けられた憧憬・懐慕といった、自然発生的な気持ちだからだ。

 ところが、「開かれた皇室」というキーワードは、マスコミ主導で生まれ、当たり前のように使われていながら、では何が「開かれた皇室」なのかといえば、その実体は極めて曖昧である。

 しかも、メディアはしきりに皇室の方々の「私生活の尊重」を言う一方で、報道の関心は私生活に偏った、まったく矛盾した姿勢に終始している。「開かれた皇室」という大義名分のもとに、国民のある種の好奇心を煽り、それを商売につなげるという、極めて計算高い発想に基づいているように思える。ために、本来伝えるべきご公務の報道は非常に少なく、国民が皇室の役割の重要性を知る権利を逆に阻んでいる。また、私生活に関する報道でも、かつてのように「親愛」をもたせるものではなく、多くが事実に基づかない無責任な情報の垂れ流しとなっている。

 平成8年に秋篠宮殿下は、「完全に事実と異なる報道がなされたことに不満を持っています」と、ごく穏やかな表現ながらも、一部週刊誌に反論されたことがある。

 だが、これはあくまでも異例のご発言である。こうした報道がなされれば、我々一般人でも憤りを覚え、訴訟を起こすこともできる。しかし、両陛下にはみずから訴訟を起こされることは法律上できないし、皇族の方も事実上難しい。それ以上に、国民のために、感情を抑えておられるのだ。

 平成16年6月、皇太子殿下のご発言をめぐる「事実に基づかない報道」に関して、宮内庁の羽毛田信吾次長は、天皇・皇后両陛下のお言葉を伝えた。それは「そのような報道の多くが、家族の中の問題にかかわる憶測であるならば、いちいち釈明することが国のためになるとは思われない。宮内庁が弁明のために労を費やすことは望まず、今は沈黙を守ってくれてもかまわない」というものである。「国のためになるとは思われない」とおっしゃったお言葉の重みを、メディアはしっかりと受け止めるべきではないか。

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