2007.06.05 Tuesday 18:16
くっくり
2005年10月、この「漢江フォーラム」のメンバーらがロシア・サハリン州にある「望郷の丘」を初めて訪れた。そこからは、韓国と日本を往来する連絡船の寄港地であるコルサコフ(大泊)の港が一望できた。そしてここは、1945年の光復(日本支配からの解放)を迎え、祖国に帰ることを望んだが、船に乗ることができなかった朝鮮人らが涙を流した丘なのだ。
「漢江フォーラム」のメンバーらはこの日、「望郷の丘」にまつわる同胞らの話を広く知らせるべきだと考えた。金容元会長は「当時、サハリンが日帝の支配下にあり、日本人所有の連絡船だけが往来していた。光復の知らせを聞いた同胞らは埠頭に走り、船に乗ろうとしたが、日本人たちは朝鮮人を1人も乗せず去って行ったという話を聞き、胸が痛んだ」と話した。
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