「ずぅーっと戦後でありたい」電波なメルマガ届きました
2007.05.26 Saturday 04:29
くっくり
日本のマスコミは総連に屈したのです。そしてそのことを不思議とも思わない異常な言語空間ができあがり、それは9・17まで続きました。
このように、日本の政治家の朝鮮総連あるいは北朝鮮本国との癒着、日本政府の事なかれ主義、法律の不備(日本にはスパイを罰する法律すらない)、朝鮮総連の圧力と日本のマスコミの自主規制などがあって、日本政府もマスコミもとにかく「北朝鮮や総連と面倒を起こしたくない」と考えていた。
これこそが拉致問題を長らく凍結状態に置いていたものの正体なのです。
それに拉致被害者を出している国は何も日本だけではありません。
韓国、タイ、レバノン、中国など、最低12カ国の国民が北朝鮮に拉致されて今も祖国に帰れずにいます。
特に韓国は日本の何倍もの被害者を出しています。朝鮮戦争休戦後(昭和28年3月以降)、今日までに3700人を超える拉致被害者を出しているのです。
大部分は後に解放されましたが、韓国政府の発表によれば500人弱が今も北朝鮮に抑留されているそうです。
宮崎さんはこれも、米軍と韓国政府が「知っていてやらせた」ことだと主張するんでしょうか?
それにしても、宮崎さんのおっしゃる「日本政府が拉致を知っていてやらせた」のが仮に真実であれば、9・17以前、拉致事件否定に貢献してきた左巻きあっち系の和田春樹や吉田康彦などは、実は政府御用達の知識人だったのではないか?という疑惑も出てきますね。
また宮崎さんは、拉致問題がクローズアップされた時に安倍さんが突然拉致問題に熱心になったかのように書かれてますが、先ほど述べたように安倍さんはそれ以前からこの問題に取り組んでました。
それが「何を今さら。知ってたくせに」という言葉に結びついているのでしょうか?確かに安倍さんは拉致事件の存在を知ってはいました。知ってはいましたよ。但しそれは、宮崎さんの言う「米軍に協力するため知っていてやらせた」ということではありません。
百万歩譲って、宮崎さんの言うようなことがあったとしましょう。ですが、1977年から1978年といえば、安倍さんはまだ学生でした。
安倍さんは1979年4月に神戸製鋼に入社。3年後の1982年に父・安倍晋太郎(当時外相)の秘書となりました。この秘書時代(1988年)に拉致被害者・有本恵子さんのご両親が安倍晋太郎事務所を訪問したことにより、安倍さんは拉致事件の存在を知ったのです。
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