2007.05.06 Sunday 02:00
くっくり
野口 ところが、テロリストへの大幅譲歩は、テロリストに将兵拉致の戦術的有効性を認識させてしまった。IDFは教訓にしましたね。
大高 2000年10月、ヨルダン川西岸パレスチナ自治区ラマラで凄惨(せいさん)な事件が発生。パレスチナ警察署内にいたIDF軍人2人が、乱入してきたパレスチナ人暴徒に惨殺され、群衆に四肢をバラバラにされた。IDFは「事件を放置したら将兵の士気を著しく下げる」と、猛烈な報復攻撃を敢行しました。
野口 2002年4月、ヨルダン川西岸ジェニンで、IDFが500人を虐殺したとパレスチナ側が発表し、イスラエルへの非難が高まりました。このとき、エルサレムでIDFの軍医にインタビューしたのですが、パレスチナ側の発表と食い違っていた。軍医は「パレスチナ住民への誤射」を認めた上で、「パレスチナ過激派の戦闘方法は想像を絶した。6歳の子供が近づいて来たので、兵士が声をかけると、その子はパイプ爆弾入りのカバンをほうり投げて逃げた。老人や女性が手をあげて近づいてきたと思ったら、隠れていた過激派の銃が火を噴いた」と話していました。
大高 パレスチナの一般人には同情しますが、西側メディアは、パレスチナのプロパガンダに乗せられやすい。イスラエル政府高官が「ユダヤ人にはアラブ民族以外にも敵がいる。センセーショナリズムに流され、視覚効果ばかり狙う米系メディアだ」と話していたのが印象的でした。
野口 ところで、大高さんはパレスチナで生前のアラファト議長に単独会見していますね。
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大高 1993年のオスロ合意直後、議長がチュニスからガザへ帰還したときです。彼はパレスチナから見れば「英雄」、ユダヤ人からみれば「テロリストの親玉」でした。第一印象は、一瞬にして人の心を掌握してしまう強烈なカリスマ性をもっていたということ。当時の私には英雄に見えました。深い絶望に陥っていたパレスチナの人々に間違いなく「建国と平和」への希望をもたらしたからです。
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