2007.04.30 Monday 01:49
くっくり
昭和天皇の在位50年を記念して、東京都の立川・昭島両市にまたがる公園がつくられた。昭和天皇記念館は緑に包まれたその一角にある。緑化などの研修施設と、ひとつながりの建物だ。
昭和天皇の誕生日である4月29日は、平成になって「みどりの日」と名を変えた。記念館のたたずまいは、その名にふさわしいと言えよう。
新緑の美しい季節である。自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。祝日法でそう定められたみどりの日は、昨年まで18回を数え、国民に定着してきた。
しかし、4月29日は今年から「昭和の日」になった。みどりの日は「国民の休日」だった5月4日に移された。
なぜ、わざわざ変えるのか。戸惑っている人も多いのではないか。
昭和の日に改める法案は7年前に与党の議員立法で提案された。激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。これが昭和を記念する祝日をつくる理由だった。
しかし、この理由がまさに示しているように、昭和は「激動」の戦前と、「復興」に始まる戦後に分かれている。
昭和天皇記念館の展示を見ても、戦前の天皇は白馬にまたがって観兵し、軍服姿で東京大空襲を視察している。背広を着て地方巡幸や植樹祭をする戦後の天皇とは大きく異なっている。
昭和は金融恐慌で幕を開けた。治安維持法による弾圧、政治家へのテロ、将校が反乱した2・26事件などが起き、太平洋戦争へと突き進んだ。
最近、朝日新聞が報じたところでは、宮内庁の侍従職事務主管を務めた故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)氏の日記に、昭和天皇が晩年も戦争への悔恨を抱き続けていたことが随所に記録されていた。
77年2月26日、昭和天皇は「治安は何もないか」と卜部氏に尋ねた。2・26事件から40年以上たってもなお、日本が軍国主義に傾くきっかけとなった事件がトラウマになっていたのだろう。
A級戦犯が靖国神社に合祀(ごうし)された後、昭和天皇は参拝をやめた。「それが私の心だ」と語った言葉を、故富田朝彦宮内庁長官が88年4月28日のメモに残しているが、同じ日、昭和天皇は卜部氏にも戦犯合祀について語っていた。
卜部氏は01年7月31日には「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と記していた。
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