2007.04.14 Saturday 03:03
くっくり
江沢民訪日の前日の一一月二四日、準備のために来日した唐家外相と高村正彦外相の間で最後の折衝が繰り広げられた。最終的な合意としては、宣言には「おわび」を盛り込まず、その代わり小渕首相が口頭で江主席に対して「おわび」を表明する、というものであった。このとき唐外相は、「江主席は世代が違うので、これでいいかどうかわからない」と答えたと言われる(9)。ただ日本側は、中国側が要求していた「中国への侵略」という明確な表現を日中関係史上はじめて公文書に挿入することに同意した。
ところでこの「おわび」に対応するかたちで、もともとひとつの文章が準備されていたと言われる。それは中国側が、「戦後の日本が平和国家としての道を堅持することで、今日の経済大国を築きあげたことを高く評価する」というような内容の一文であった。これはいわば戦前と戦後の日本を区別することで、戦後から現在にかけての日本を「平和国家」として評価し、「未来志向」の関係構築をねらった内容であった。しかしこの一文は、結果として、「おわび」の表現が文書化されなくなったことから同時に削除された(10)。
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