温家宝訪日 中共の微笑外交に釣られるな!

2007.04.14 Saturday 03:03
くっくり



 他方、温首相は、従来の最重要の懸案であった首相の靖国神社参拝問題について、出発前、在北京の日本報道各社と会見し、「目にしたくないものだ。このようなことが二度とないよう希望する」と延べ、牽制(けんせい)した。だが、クギを刺しながらも、日本国首相が靖国神社参拝を行わないと明言しなければ、日中首脳会談は行わないとかつて公言した中国政府は、不参拝を約束したわけでもない安倍政権と、いま、密な関係を築こうとする。なぜか。日本側が立ち止まって冷静に分析すべき点だ。

 日中関係の歴史には現状と似たケースが幾つかある。一例が中曽根康弘内閣から竹下登内閣への過渡期の状況ではないか。

 中曽根氏は日中関係の光と影を体験したはずだ。首相就任前の80年4月末、訪中した氏が、中国人民解放軍の伍修権副参謀総長からGNP1%以下の日本の軍事費を2%に倍増してもよいではないかと告げられたのは周知のとおりだ。首相就任後の中曽根氏は胡耀邦総書記の対日友好政策でつかの間、楽しむ。しかし、84年1月には、『人民日報』が中曽根内閣の下で軍事費が1%枠を突破する可能性に関連して、「日本は軍事国家の道に第一歩を踏み出した」と批判。85年には、それまで問題にもされなかった首相の靖国神社参拝が突然非難され始めた。

 中国はさらに「FSX戦闘機からイージス艦まで」「巨大な資金を惜しげもなく投じて、新装備を更新する傾向」が1%枠突破の原因だとして「日本は軍拡の道を歩んでいる」と批判を強めた(『中国は日本を奪い尽くす』平松茂雄、PHP研究所)。

 平松氏は、当時の中国は日本の“軍事大国化”を公然と批判する一方で、日本の経済、技術援助を得るために友好関係を損なわないよう配慮する巧みな戦術を用いたと指摘する。

 中曽根氏は参拝をとりやめ、軍事費も1%を突破したわけではなかったが、日中関係は悪化。それが劇的に好転したのは次の竹下内閣のときだった。88年夏に中国を訪問した竹下首相はかつてない8100億円の大規模円借款を差し出したのだ。

 しかし、それは一体何の役に立ったのか。中国共産党政権は翌89年、天安門事件で学生らを武力弾圧した。92年には日本固有の領土の尖閣諸島を中国領と定めた。94年、江沢民政権は徹底した反日教育を開始した。95年以降、たて続けに核実験も行った。

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