元慰安婦「李容洙」証言の矛盾

2007.04.09 Monday 01:50
くっくり


 公聴会が開催されたのは2月15日、議事録によると場所は下院ビルの2172号室、主催は下院外交委員会の太平洋・地球環境小委員会、論題は「慰安婦の人権保護」となっている。

 会は小委員長の挨拶につづき、パネルIがホンダ議員の主旨説明、パネルIIが元慰安婦の李容洙(Lee Yong Soo)、金君子(Kim Koon Ja)、ヤン・ルフ・オヘルネ(オランダ出身、現在は豪州居住=引用者注1)の証言、パネルIIIは支援組織のミニー・コトラー、ソー・オクチャ(既出=引用者注2)の陳述の順で進行した。

《引用者注1 ヤン・ルフ・オヘルネ……ジャン・ラフ・オハーンと表記される場合もある。》
《引用者注2 ソー・オクチャ……ホンダ議員と連帯して会員決議案を推進してきた、ワシントンに本拠を置く「慰安婦のためのワシントン連合」の会長で、米地方裁判所に提訴した15人の慰安婦の裁判闘争を支援してきた朝鮮系の博士。2月15日の公聴会ではしめくくりの大演説をぶった。》

 3人のうちオヘルネは1944年ジャワ・スマランのオランダ民間人抑留所から日本軍部隊の慰安所へ連行され売春を強制されたが、気づいた軍司令部の命令で2カ月後に解放され慰安所は閉鎖された。

 オランダ軍事法廷は戦後に責任者11人へ死刑(1名)をふくむ有期刑を科したので、法的には60年以上も前に終結した事件である。

 残りの2人は韓国人女性だが、ここではソウルの「ナヌムの家」に住み、語り部として訪日経験も多い李容洙の証言(要旨)を議事録から紹介したい。気になる個所に傍線を引いておいた。

「私の前半生」

 1928年12月、大邱生れ。男5人、女1人の9人家族だが、貧しかったので学校は1年しか行かず、13歳の時から工場で働く。1944年秋、16歳の時に女友達のキム・プンスンと川辺で貝拾いをしていた時、丘の上から年長の男が私たちを指し、連れの30歳代の日本人がやってきて誘った。おびえた私は走って逃げたが、数日後の早朝にキムが窓を叩いて小声で誘った。

 私は母に黙ってスリッパでそっと抜け出すと、数日前に見た日本人がいた。彼は人民軍のような服(People's Army Uniform)に戦闘帽をかぶり、3人の少女が一緒だった。合流して5人になった我々は駅から列車で平壌を経由して大連へ向かった。途中で帰りたいと泣いたが拒否された。

 11隻の船団に乗り、船中で45年の元旦を迎えた。上海に寄ったあと台湾へ向ったが、途中で爆撃に会い乗船に爆弾が1発命中した。大混乱の最中に同船していた日本兵にレイプされた。これが私にとっての最初の性体験である。

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