2007.03.13 Tuesday 19:19
くっくり
(総合編集部 木村さやか、写真報道局 林俊志)
【先人】
竹島の領土編入に尽力した中井養三郎氏(左端)。竹島で捕獲されたアシカの皮は、軍の背嚢(はいのう)などにも使われたという=西郷町(現・隠岐の島町)発行「ふるさとアルバム西郷」より
【掲げる】
海産物豊富な「宝の島」竹島へ、多くの漁師が船出した隠岐の島町久見の漁港。「竹島かえれ 島と海!」と書かれた看板が掲げられている
【漂着】
隠岐から竹島までは157キロ、韓国・鬱陵島まではさらに92キロ。隠岐の海岸には、韓国からのゴミが大量に漂着する=島根県隠岐の島町久見
【語る】
70年以上前、竹島で行ったアシカ漁の様子を語る吉山武さん(96)。戦前の漁の経験者はもう吉山さんだけだが、つい最近まで、周囲の人も、吉山さんが竹島で漁をしていたことを知らなかった
【記す】
八幡才太郎氏が残した日記などから三男の昭三さん(78)がまとめた「竹島日誌」は、隠岐の島町で来年度から使われる社会科の副読本にも引用されている。昭三さんは「子孫にどう伝えるかが今後の課題」と話す
竹島で漁をした人で今、生きているのは2人。直接話を聞きたくて、寒波が押し寄せた昨年末、隠岐へ飛んだ。海で鍛えた2人は96歳と80歳という年齢にもかかわらず、驚くほど鮮明な記憶を、びっくりするほど大きな声で語ってくれた。
韓国が実効支配し続けて半世紀。2人にはその現実が、今も信じ難いようだった。取材してわかったのは、それは竹島があまりに生活に密着した場所だったこと。「領土問題」という言葉にはそぐわない近さを感じた。
「家を奪われたわけではない」と竹島の領土問題は時に軽んじられる。だが、すべてを投じて漁場を拓(ひら)いた先人がいて、命がけの漁をした人々がいて、今がある。それを思うと、机上の議論はあまりに薄っぺらい。
隠岐にはまだまだ竹島を語りつくせていない人々がいる。証言の文字化とは、歴史を刻むことだ。八幡昭三さん(78)が新聞広告の裏に書き連ねたメモの貴重さを考えたとき、記者の使命を感じずにはいられなかった。
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