2007.03.13 Tuesday 19:19
くっくり
「あん人は、だいぶんアシカを持って帰りました。そこの川に泳がしておりましたなあ」
昭和初期に竹島でアシカ漁に従事した中本歓太郎の妻、クニ子(94)は、久見漁港(島根県隠岐の島町)近くの川に当時、アシカがたくさんいたと話す。…………
昭和27年1月18日。韓国が日本海などの公海上に「李承晩ライン」を引き、竹島を「自国領」にしたというニュースを聞いた八幡尚義(80)は驚いたものの、内心「そんな暴挙が通るわけがない」と楽観していた。ずっと前から叔父も漁師仲間もよく出漁していたし、五箇村(現・島根県隠岐の島町)の所属にもなっている。
「戦後のごたごたが片付けば、また漁に出られるだろう」
同年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約で、竹島は日本領土と改めて確定されたが、韓国は翌年、ライン内に出漁した日本漁船の拿捕を指示。2月には日本の第1大邦丸の漁労長が射殺された。……
【グラフ 波頭を越えて】 歴史に刻む竹島 漁の記憶
連載「波頭を越えて 竹島リポート」第1部(7〜11日付朝刊1面)では、わが国固有の領土、竹島で漁をしていた人々らの証言を中心に、竹島の歴史をたどった。今回は、島根県・隠岐で取材した彼らと、この島の人々らの竹島への思いを写真で紹介したい。
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