産経/竹島特集「波頭を越えて」

2007.03.13 Tuesday 19:19
くっくり


 
波頭を越えて−竹島リポート− 第1部 その1 水産家の挑戦  小屋建設、領土編入の根拠(3/7)
 「日本の陸地は狭いが、海は広い。事業を成すなら海だ」。明治37(1904)年、竹島の領土編入と貸し下げを政府に願い出た島根県・隠岐の水産家、中井養三郎(1864〜1934年)の口癖だった。

 隠岐の漁師が以前から度々訪れていた竹島に、中井は36年には滞在用の小屋を建てるなど、本格的な事業開始の準備を進めていた。だが、何度も上京して領土編入を熱心に願い出たのは、事業のためだけではなかったという。「領土、そして領海の意義を、常に力説していた」と遠縁にあたる橋本いせ子(78)は語る。…………

波頭を越えて−竹島リポート− 第1部 その2 ダイヤモンドの海  糧を稼いだ命懸けの漁場(3/8)
 「トド(アシカ)はあまっちょった(たくさんいた)が、漁はきついし、恐ろしかった。トドは船を跳ね飛ばし、噛みちぎってしまうんだ」

 昭和9年5月。「竹島漁猟合資会社」の橋岡忠重に雇われ、約1ヶ月間竹島での漁に従事した吉山武(96)は、70年以上前の竹島の様子を鮮やかに覚えていた。西郷町(現隠岐の島町)発行の「ふるさとアルバム西郷」に収められた竹島でのアシカ漁の写真を見せると、突然、吉山が「ら(おれだ)」と指さした。…………

波頭を越えて−竹島リポート− 第1部 その3 念願の地先権 太平洋戦争勃発で開拓断念(3/9)
 拝啓、竹下官房長官殿―。昭和46年12月、当時83歳だった八幡才太郎は東京の議員会館を訪ね、竹島の返還への思いをつづった手紙を竹下登に届けた。才太郎は本人との面会を求めたが会えず、やむなく秘書に手渡して隠岐へ戻った。

 五箇村(現・島根県隠岐の島町)の収入役も務めた才太郎は、同村が竹島の地先権を持つにもかかわらず、領土問題が進展しないため竹島での漁ができない現状を打破してほしいと懇願し、竹島と隠岐のかかわりを付記している。だが、「島根県選出の偉い先生だから」と才太郎が頼った竹下が問題解決に動くことは、結局なかった。……………


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