「南京大虐殺」入門の入門
2007.03.06 Tuesday 22:06
くっくり
オープン・シティしなかった例はベルリンです。戦場になって徹底的に破壊されました。街の中を戦場にしてはいけないのです。戦争するなら野原でやってくれ、ということです(笑)。
北京はオープン・シティにしました。ですから、「北京大虐殺」などという話はない。保定というのは重要な街ですが、これもオープン・シティした。武漢三鎮もオープン・シティしました。
だから南京もオープン・シティするべきだったんです。蒋介石は日本の陸軍の教育を受けていますから、するつもりでした。
南京の外には中山陵があります。ここに孫文の記念碑があります。その記念碑のある丘に大砲をすえて撃つと、日本軍としては非常に都合がいいのですが、松井大将と孫文は非常に親しかったので、松井大将はそれを禁止しました。それくらい、日本兵は相手に対して気を遣っていました。
「南京学」の功績
一方、激戦が始まると敵の司令官である唐生智は、兵隊を放ったらかして逃げました。残された兵は、敗残兵です。世の中で虎が怖い、狼が怖いと言ったところで、何より怖いのはシナの敗残兵だと昔から決まっているんです(笑)。何だってやります。
南京にとどまっていたアメリカ大使館の書記官が、シナの敗残兵は一般の市民を殺して服をはぎとって、安全地帯に逃げた例もあると書いています。それらが、すべて日本兵の仕業にされているのです。
敗残兵になると降参が簡単にできません。ハーグ陸戦法規において、捕虜になる条件として重要な三つのものがあります。団体が降参する時は責任者がいなければならない、武器は必ず見えるように持たなければならない、必ず軍服を着ていなくてはならない。少なくともこの三つの条件を満たしていなくては捕虜になる資格はないのです。
ところが敗残兵はそんなこと知ったことではありません。だから日本軍は、敗残兵掃討、残敵掃討を行うわけです。
安全地区には絶対に武器を持った兵隊を入れないということになっていましたが、そこでは鉄砲とか大砲が見つかっています。ですから日本軍も大変で、いちいち探さなければならない。そんな時に間違って殺されてしまった市民もいるでしょう。しかし、それは決して大虐殺ではありません。
捕虜も四千人くらいずつまとめておきました。しかし日本軍で捕虜を監督しているのは百人くらいです。捕虜が暴れ出して、怖くなって機関銃を撃ったという例もあるでしょう。しかし、組織的に市民に対して虐殺を行ったというようなことはあろうはずがありません。
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