2007.03.05 Monday 14:17
くっくり
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今月6日夜、宮本さんが受傷したとの知らせに友人らは耳を疑った。だが、ほかの署員は別の事件で交番をあけており、女性は「死んでもいい」と強引に踏切に飛び込んだ…と、切羽詰まった状況が次第に明らかになると友人らの思いは確信に変わった。
「あいつなら自分を盾にしてでも飛び込んだはず。置かれた状況のなか、自分ができることを最大限果たす。それがあいつの強さだから」
宮本さんは昭和51年、札幌市の北海学園大学を卒業後、警視庁に採用され北海道から上京した。この年は前年に「戦後最大」と言われた不況の波が、まだ列島をおおっていた。
警察学校時代、四角いメガネにいつもニコニコ笑顔をたたえ、「宮ちゃん、宮ちゃん」と友人らから慕われていた。器用ではなく、敬礼の際、緊張から体が右に傾いてしまっていたことを友人らは覚えている。
一方で頑固なほどに芯(しん)が強かった。何十キロもの装備を着けての走り込みで倒れ、友人らが手を貸そうとしても「大丈夫」と拒んだ。剣道もうまくなかった。だが真冬の夜も1人黙々と素振りを続け、友人らを追い越して入段試験に合格した。「道産子ならではの愚直さがあった」(友人)
翌年春、半年間の教練を終え、それぞれの配属先が決まった日、中庭で皆で涙にむせびながら「この道」を歌った。
♪どんなにつらくても歩いていこうよ この道を
学園紛争の嵐が吹き荒れた昭和44年。警視庁の機動隊員ら若い警察官を励まそうと、当時の秦野章警視総監が友人の作詞家、川内康範氏に依頼し、できた歌だった。
そして、寄せ書き。それぞれが夢を記すなか、宮本さんは力強い筆跡でこう書き残した。
「誠実、誠心、誠意…宮本」
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宮本さんの無私の行動に、多くの人々は心を揺さぶられた。
「正義感、警察官魂を引き継ぐ」。同僚の警察官はもちろん、常盤台交番には1万人以上もの人が記帳や献花のために列を作った。記帳台がなくなった現在も献花に訪れる人は絶えない。
宮本さんの回復を祈るメッセージがあふれたインターネットの「2ちゃんねる」で、引きこもりとみられる男性はこう書き込んだ。
《こんなお巡りさんもいるんだね。おれ、ちょっとだけ人を信じてもいいような気がしてきた…。もう随分外に出ていないけど》
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