阪神淡路大震災から2年半後にこんな本が出版されていた

2020.01.16 Thursday 19:22
くっくり


 「まあ笑ろたらなんやけど」
 で受けつづける二人組の高校生がいた。


<前兆>

 「去年からネズミが少なくなっていた」
 「ペットの犬の気性が荒くなっていた」
 など、予兆についての証言が相次いだが、
 「そういうたら去年の秋からやたらと夫が食べ放題の店に行きたがっとった」
 と証言した主婦も。


<気配り的暴動>

 ロス地震などに比べて、阪神では略奪のようなひどいことはなかったと言われている。
 一日目、水を求めてさまよう被災者は、バタバタと道に倒れている自動販売機に駆けよった。
 そこからがロスと違うところで、阪神被災者たちは、
 「WOOOO!」
 と絶叫するかわりに、
 「皆さん、これは倒れておりますからもうもらっといてもいいでしょうかね」
 とか、誰にともなく言いながら、ロスなればハンマーで叩き壊すところを、日曜大工のねじまわしのようなものでちょこちょこと開け、
 なお、
 「まだたくさんありますから、どうぞ皆さんもお持ち帰りください」
 と、周囲に気配りしながら持ち帰っていた。
 パトカーも彼らを捕まえ、蹴り回す代わりに見て見ぬふりをして去り、シンポジウムでその状況を報告したジャーナリストも、
 「私も一本もらいましたけど」
 と最後につけ加えるなど、みんな大人であった。


<ファイナルファンタジーばあさん>

 救援物資が、送った人の予想をもはるかに超えて大活躍した例も。
 『西新(せいしん)第七仮設』では、外は何もない原っぱ、近隣との交流はほとんどなし、三宮など街の中心地に行くには片道二千円近くかかるため行けず、と、年金でつつましく暮らす独居老人はすることがなく、ヒマと孤独をもてあましていた。
 おかげで、それまでさわったこともなかったのに、ボランティアが持ってきた救援物資の中古ファミコンで突如ゲームに開眼、左手親指にファミコンだこをつくりながら、一年でファイナルファンタジー I から III までクリアした大正生まれの老女がいた。


<執念深いクモの子>

 駅前など人の多いところでは、公衆電話の前に列ができた。
 当日から二日目あたりまでひっきりなしに震度3,4の余震が続き、人々はそのたびにクモの子を散らすように逃げ、揺れが収まるとまた列をつくることをくり返した。

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