【過去】舞の海さんが大相撲と天皇との深い関わりを語る&「週刊金曜日」捏造報道
2019.04.13 Saturday 00:26
くっくり
戦国時代
織田信長が相撲好きで、上覧試合も行われるようになり、見直されていく。豊臣秀吉もそれにならう。
江戸時代
寺社仏閣を建てる、橋を建てるという名目で、営利目的の相撲の興行が起きるようになる。これを勧進相撲という。
平和で、力のある外様大名が中央政治に関与する機会がほとんどなかったため、各藩の大名が強い力士を探して、それぞれ抱え、藩の名誉を競うようになった。
津軽家(青森県)や島津家(鹿児島県)など、熱心な大名家の領地だった土地には、今でも輩出する力士の数が多い。
明治時代
天皇が京都から江戸に移る時、京都の力士たちは菊の御紋の陣羽織を着て先頭に立つことを名誉とした。
文明開化で西欧のものを取り入れるようになると、相撲はまた室町時代のように野蛮な競技だとみられるようになり、裸になることすら憚られるようになったが、その時、相撲を救ったのは明治天皇だった。
明治17年
芝延遼館で天覧相撲が行われ、一気に相撲が見直された。
もし、ここで天覧相撲が行われていなかったら、時代とともに相撲はなくなっていたかもしれない。
大正以降〜
昭和天皇は大変な相撲好きでいらしたことが知られている。
昭和天皇のご存在が、大相撲を現在の形にしたといっても過言ではない。
【天皇賜杯】力士にとって最高の名誉。大正14年、昭和天皇が摂政宮でいらした時に、赤坂の東宮御所で天覧相撲が行われたが、この時の御下賜金で摂政盃(優勝賜杯)が作成され、これが現在の天皇賜杯につながっている。
【大日本相撲協会】天皇賜杯をいただくのに、大相撲を行う団体はきちんとしておかなければならないということもあり、財団法人となる動きは加速し、大日本相撲協会が認可された。これが現在の公益財団法人「日本相撲協会」へとつながっている。
こうした経緯から、舞の海さんは、大相撲がここまで続いたのは、日本に天皇がいらしたから、日本に皇室があったからだと考えておられます。
昭和天皇や今上陛下が何度も国技館に足を運んでくださり、大相撲を見守ってくださってきたことを、舞の海さんは本当に感謝しておられます。
(ただ、ここ何年間の不祥事により天覧相撲が3年以上途絶えていることは、やむをえないことかもしれないが本当に残念です…とも)
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