【過去】舞の海さんが大相撲と天皇との深い関わりを語る&「週刊金曜日」捏造報道
2019.04.13 Saturday 00:26
くっくり
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正論2014年07月号【教育提言 私が伝えたい天皇・皇室のこと】連載第3回は「何が相撲の伝統を守ったか」。
舞の海秀平さんの登場です!(^▽^)
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大相撲は単なるスポーツではなく、日本の伝統文化、伝統芸能であり、何より神事であることは、皆様よくご存知だと思います。
歴史上、大相撲がいかに天皇・皇室と関わりの深いものであったか。
舞の海さんの解説から、箇条書きで年表にしてみました。
642年(皇極天皇元年)
百済から来た使者を饗応するため、飛鳥の宮廷の庭で相撲を見せたという史実が、文献で確認されている。
734年(聖武天皇の代)
初めて天覧相撲が行われたと言われている。
聖武天皇は諸国の郡司に対して、強い力士を選んで貢進するように勅命も出しており、国家儀礼として宮中で行われる相撲「相撲節会(すもうせちえ。あるいは、すまいのせちえ)が正式に形作られていった。
平安時代初頭
天覧相撲が毎年恒例となる。
833年(仁明天皇の代)
「相撲節会は単に娯楽遊戯のためではなく、武力を鍛錬するのが中心の目的である」と勅命を出し、諸国のすぐれた相撲人を探し求めるようになる。
このようにして相撲は天皇に認められ、宮中儀式となり、国家的な文化として隆盛を極めるようになった。
平安時代、相撲は民間各地でも豊作祈願の農耕の儀式として行われていたが、宮中で相撲節会として扱ってもらっていなければ、やがて廃れてしまい、続いていなかったかもしれない。
実際に、その後、相撲は危機に瀕することもあった。
12世紀
武家社会が到来し、相撲は宮中から武士の手に渡り、戦のために鍛錬するという武芸の一種のような性格が強くなっていく。
室町時代
いろいろな文化、芸能が起こり、芸能文化としての相撲は段々衰退していき、野蛮なものだと思われるようになっていく。
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