ドナルド・キーンさんの言葉を振り返る

2019.03.30 Saturday 00:32
くっくり


 万葉集をはじめ多くの日本文学を世界に紹介したドナルド・キーンさんがはじめて万葉集に出会ったのは太平洋戦争中とのことです。
 アメリカ海軍の日本語学校を卒業して、前線に送られ、日本人捕虜や兵士が残した書類や所持品に向き合うようになり、そのときに書類の中に文庫本が入った文庫本の入った大きな箱に出遭います。
 驚いたことに本の中で一番多かったのは、万葉集だったそうです。
 (中略)戦争中ですから持って行くことのできる本も限られていたでしょうが、そうはいっても「万葉集」であったことに日本人の心がわかるような話です。】

 キーンさんが亡くなった時、縁のある方々が追悼の言葉を寄せておられました。
 戦争にまつわる話で言えば、徳岡孝夫さんが紹介したこのエピソードが大変興味深かったです(産経 2019.2.24 16:58)。

【戦時中は米国の情報将校として、日本兵と米兵の手紙を読み、彼我の懸隔に衝撃を受けた。『自分の命を祖国と世界平和にささげたい』とつづる日本兵、『早く家に帰ってママのパイが食べたい』と書く米兵。『この戦争は日本が勝つべきではないか』とキーンさんは感じた。それが日本文学研究の出発点だった。
 『日本は中国の一部』といった認識が西欧で一般的だった時代に、この世界に西欧とは異なるすばらしい美意識と価値観を持つ日本という国が存在することを、キーンさんは愛情をこめて世界に広めてくれた。日本人として感謝してもしきれない】


 キーンさんのことが、日本国民の間で広く知られるようになったきっかけは、実は東日本大震災の後ではなかったでしょうか。
 そう、震災を機に、キーンさんが日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明された時です。
 このことは、当時すごく大きく報道されましたから。

 キーンさんのこの行動、そして、その時発せられた言葉の数々に、被災者の方々はもちろん、多くの日本国民が励まされたものでした。

 ちなみに国籍を取得された際、戸籍上の本名は「キーン ドナルド」として登録されたそうですが、国籍取得時の記者会見では、漢字で「鬼怒鳴門」と表記した名刺を披露し、「人を笑わせる時に使います」と述べておられました。

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