【過去】子供たちに教えたい柴五郎(付:「日本国紀」)

2019.02.23 Saturday 00:50
くっくり



 イギリス公使館の書記生ランスロット・ジャイルズは、次のように記しています。

【王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援軍が送られた。王府で指揮をとっているのは、日本の柴中佐である。〈中略〉 日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。わがイギリス水兵がこれにつづく。しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う】

 イギリス以外の欧米人の評価も紹介しましょう。

 義和団の乱で北京籠城を経験したアメリカ人女性のポリー・C・スミスは、こう記しています。

【柴中佐は、小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷(こうみんこう)で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。〈中略〉 柴中佐は、王府での絶え間ない激戦でつねに快腕をるふるい、偉大な士官であることを実証しました。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです】

 エリアノーラ・メアリー・ダヌタンの「ベルギー公使夫人の明治日記」には、このような記述があります。

【著名な日本の将校の柴五郎陸軍大佐は、その勇気と先見の明によって、他の誰よりも北京を守るのに功があったという話であった。その当時一番大きな働きをした人間に贈るために、教皇からダイヤモンドの指輪が送られてきたが、ファヴィエ大司教はこの貴重な印を直ちに柴大佐に贈呈したのである】

 後に体験者の日記を発掘してまとめたピーター・フレミングは、その著書「北京籠城」の中でこう記述しています。

【戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。〈中略〉 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、この籠城をつうじてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになった。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである】

 柴五郎率いる日本軍の規律正しさは噂となってたちまち北京市内に知られ、市民は布や紙に「大日本順民」(日本に順う市民)と書いて日本軍を歓迎しました。

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