【過去】子供たちに教えたい柴五郎(付:「日本国紀」)
2019.02.23 Saturday 00:50
くっくり
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戦後、国民から忘れられてしまったり、教科書から消されてしまった日本の偉人はたくさんいますよね。
この人もその一人ではないでしょうか。
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[画像はWikipedia>柴五郎より]
柴五郎。
万延元年5月3日(1860年)6月21日〜昭和20年(1945年)12月13日。
欧米で広く知られる最初の日本人となったと言われています。
私も名前だけは知っていましたが、詳しいことを知ったのはごく最近です。
きっかけは「WiLL」2012年1月号でした。
【ある編集者のオデッセイ/堤堯「第123回 北京・円明園の廃墟で考えたこと」】より引用。
【清朝末期の1899年、列強の収奪に抗して義和団の乱が起こる。彼らは「扶清滅洋(ふしんめつよう)」を掲げて「洋人」を襲い、ドイツ公使らが殺害された。好機と見た西太后はこれと手を結び、清兵は義和団を交えて列強の公使館を襲い、各国の「洋人」は命からがら北京城に逃げ込む。
立て籠もった一千人足らずの外国人を数万の敵が取り囲む。映画『北京の55日』は籠城の一部始終を描いた。籠城戦の指揮を執ったルイス少佐をチャールトン・ヘストンが演じた。これは史実と違う。実際に指揮を執ったのは日本の中佐・柴五郎で、彼は五十数名の日本兵を率いて奮戦敢闘した。中国語はもとより英語、フランス語にも通じ、その見事な統率・指揮ぶり、くわえてその人格に各国の洋人らは信頼と感謝を寄せた。それが史実だ。
やがてアメリカ、イギリス、ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリアに日本を加えた八カ国が連合軍を結成して北京に到着。55日におよぶ籠城戦は死者40人弱にとどまり、多くの人命を救った。
映画はもっぱらルイス少佐をヒロイックに描き、伊丹十三が扮する柴五郎は端役の扱い。映画の終幕、ルイス少佐は戦乱の孤児となった混血娘を馬上に拾い上げ、夕陽のなかを去っていく。つくづくイイ気な三流映画で、贔屓の女優エヴァ・ガードナーが出ていなければ、とても見れたものではない。
映画はその前に起こった出来事に触れていない。アヘン戦争につぐアロー戦争(1856年)で、イギリスとフランスの連合軍は北京を占領し、掠奪・破壊・放火の限りを尽くした。紫禁城から宝物や古美術品を掠奪するだけにとどまらず、円明園にも押しかけ、破壊・掠奪に狂奔した。
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