竹島プロジェクト2019

2019.01.11 Friday 00:04
くっくり


・バナーは改変していただいて構いませんが、「2.22(2月22日)」「竹島の日」「Takeshima」の文言は必ず残すようにして下さい。
 但し、海外向けで「竹島の日」周知を特に目的とされない場合(竹島が日本の領土であることを幅広く周知することを目的とされる場合)はこの限りではありません。その場合、「February 22 is Takeshima Day」の文字を抜いたバナーをご利用いただければと思います。


【ブログ主(くっくり)からの個人的なメッセージ】

 2018年11月末、韓国の女子中学生らから島根県内の中学校へ、葉書41通が次々と届きました。
 葉書には、島根県の竹島について、「韓国領だ」「日本の教科書は嘘を教えている」と書かれていたそうです。
 竹島が韓国領である根拠については、こう主張してあったそうです。

(1)三国史記(1145年)に書いてあるように、512年から独島は韓国領だ
(2)韓国の英雄・安龍福が直談判した結果、鳥取藩主は「欝陵島と竹島が朝鮮領になった」と発言した

(1)への反論
 「三国史記」には、512年に干山国が新羅が編入されたと記載されている。干山国には鬱陵島と「独島」が含まれていたので、512年以来、「独島」は朝鮮半島の国の物だったというのが、韓国の中学生の主張。
 しかし日本側の研究で、この主張は完全に否定されている。
 同じ「三国史記」には、干山国について「或は名を鬱陵島といい、」との記述があり、これは于山国=欝陵島であったことを示している。また「三国遺事(13世紀末)」という別の文献には、于山国の周囲は「周回二万六千七百三十歩(ぶ)」だったと明記されている。1歩=約1.6mなので、干山国の周囲は約43km。この数字は欝陵島の1周とほぼ同じ距離。もし韓国側が言うように、干山国が鬱陵島と「独島」で構成されているなら、この数字はあまりに小さすぎる。
 また韓国側は「東国文献備考(1770年)」の「輿地志云、欝陵于山皆于山国地。于山則倭所謂松島也」という記述を根拠に、「干山国の干山島は独島だ」と主張している。この記述を現代語に訳すと、「輿地志(正式名称は「東国輿地志」)が伝える事によると、鬱陵と干山はすべて干山国の土地である。干山というのは、日本が言うところの松島(竹島の当時の日本側呼び名)である」となる。

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