昭和天皇の御宸筆見つかる・硫黄島遺骨 新レーダー探索…青山繁晴「虎ノ門ニュース」

2019.01.08 Tuesday 00:00
くっくり


 国会周辺ではあれほどデモが起きているけれども、銀座や後楽園球場はいつも通りだとおっしゃったと伝えられていて、いわゆる、今風に言えばサイレントマジョリティ。

 もともと日米安保条約というのは、1951年の段階から考えると、全く不平等で、アメリカは(日本国内に)自由に米軍基地をつくることができて、日本政府はそれに一切介入できなくて、しかも、アメリカに日本を守る義務がなかった。
 これで日米安保条約と言えるのかというね。
 それを改定を重ねたのが、岸総理含む日本政府の努力だったわけですよね。
 それを、そこまでお考えが深かったかどうかは別にして、声なき声があるとおっしゃって。

 歴史的評価が未だに分かれている、というよりは、悪し様に言う人の方が、むしろ学者、評論家、コメンテーターに多い。
 ところが、昭和天皇が「聲なき聲のことなり」と注釈をおつけになった上で、「きみのいひたることばこそおもひふかけれ」と。

 半藤さんがどう解説なさってるかというと、「複雑な気持ちにとらわれる」と。
 その後、強調されてるのは、「昭和天皇は生涯、大元帥としての自分がなかなか抜けなかったのか」と。
 僕は愕然としたが、これは半藤さんが文章で朝日新聞に寄稿したのか、記者の聞き取りなのか、判然としない面もあるが、実際にお書きになったものだと思う。

 すると、「自分」という表現はあんまりにもあんまりだし、それから陛下はもともと日米戦争に反対なさっていたというのは、今は歴史的に隠れもない事実であって。
 反対なさっていたけれども、立憲君主制ということを尊ばれて、具体的な介入を避けられたというのが一番中立的な解釈ですよね。

 それを岸信介総理の、1960年ですよ? もう敗戦から15年を経て、その段階で昭和天皇がいつまでも大元帥としての意識が抜けておられなかった?
 そうですか?それは大御心に沿ってますか?
 僕は全くそう思えないんですよね。
 ひょっとしてこれ聞き取りで、朝日新聞の記者が朝日語に書いたのかとも思いたいぐらい。

 それでもやっぱり半藤さんはどこかにはフェアな考えをお持ちだと思うが、陛下が、「日米の集団的自衛を定めた安保改定に賛成の気持ちを持っておられたのだろうか。それをうかがわせるような直筆の言葉が残されていることに心から驚いている」と。

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