産経新聞的ちょっといい話(7)(読者投稿欄より)
2018.12.08 Saturday 00:06
くっくり
父母、祖父母、親戚、近所の大人たちで、あの戦争について悪く言う人はいなかった。
対米戦に関して父は「日本は物量で負けた」としか言わなかった。
母の長兄はグアム島で戦死し、母の実家は空襲で焼失したが、母も母方の誰もが祖国に恨みを抱かなかった。
子供の頃の友達の父親は大陸から引き揚げる際、奥さんと末娘が殺されたと聞いた。
ソ連は日本の敗戦寸前に日ソ中立条約を破って満州、樺太、そして北方領土に侵攻し、暴虐の限りを尽くしたことを長じてから知った。
私が「日本の軍国主義者が戦争を起こし侵略した」という東京裁判史観に染まらず、反日にならなかったのは子供の頃の環境に負うところが大きい。
ここ20年来、靖国神社で行われる全国戦没者慰霊大祭に参列し、参道での総理大臣の靖国公式参拝を求める集会に参加するのが、私の「終戦の日」の過ごし方だ。
【「終戦の日」に思ったこと】
2018.8.23
無職 江面(えづら)綾子(87)千葉県松戸市
15日付の本欄で「『反日』の大人はいなかった」を読み、意を強くした。
終戦時14歳だった私は戦時中、日本が本当に勝つと信じて、ほしい物も我慢し、学徒動員により軍需工場で懸命に働いた。
戦争が終わり、「私が怠けたから負けた」と思い、友人たちと一緒に皇居へおわびに行ったことなど、今なつかしく思い出す。
日本は戦後、がらりと様相が変わった。
ちまたでは口をそろえて、「ばかな戦争だった」と国まで否定する反戦論がはびこる。
戦争を賛美する気はないが、大国が押し付けてくる圧力に抗しきれず、戦争に及んだ先人の心をくむことも大事なのではないかと思う。
最近、戦前にはなかった惨事が次々と起こる。
学校でのいじめや、授かった子供への虐待などを聞くにつけ、これが多くの犠牲を払って得た平和なのだろうか。
そう首をかしげた今年の「終戦の日」だった。
【今こそペンの力を発揮して】
2018.8.30
無職 光森明(68)岡山県津山市
拉致、慰安婦、徴用工、竹島、尖閣、北方四島。
今、日本が毅然として対処しなければ、禍根となるだろう。
だが最近の新聞は「しかるべき厳重抗議を申し入れた」という官房長官談話で紙面を締めくくる。
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