【過去】サハリン残留韓国人 日本の“理由なき支援”

2018.11.23 Friday 00:56
くっくり


 日本の反日勢力や韓国人らは今もこのように「朝鮮半島出身者だけを置き去りにした」といった批判をしますが、これは事実ではありません。

 朝鮮半島出身者の引き揚げについては日本は当時占領下にあったから、関与したくてもできなかったのです。
 終戦後、ソ連が実施した人口調査によって「無国籍者」と分類された朝鮮半島出身者は、なぜか引き揚げの対象に含まれていなかったのです。文句があるならソ連に言って下さい、としか言いようがありません。

 そもそも樺太へは自由意思で行った人が圧倒的多数でした。なぜ樺太に行ったのか。当時の樺太は、内地(日本)よりもはるかに賃金が高かったからです。
 このへん、半島よりも高賃金の仕事にありつけるからという理由で自主的に日本に来たくせに、戦後になって「日本に強制連行された」と主張し始めた朝鮮人と同じ構図です。


 サハリン残留韓国人問題が政治問題化したのは、昭和50年12月に東京地裁に提訴された「サハリン残留者帰還請求訴訟」がきっかけです。“仕掛け人”は、後に「従軍慰安婦」訴訟などで中心的な役割を果たす高木健一弁護士でした。
 訴えの中身は簡単に言えば、「日本が“強制連行”で連れて行ったのに、終戦後、朝鮮半島出身者だけを置き去りにした。日本の責任で帰せ」というものです。

 この裁判ではさまざまな“パフォーマンス”が行われました。韓国人妻が「夫を返せ」と絶叫したり、裁判官にコップを投げつけたり、ナイフで指を切り血を流してみせたり。
 関係者によると、証言する人たちには必ず、「強制連行でサハリンに連れて行かれた」と主張するように“指導”が行われていたそうです。
 こういった“パフォーマンス”は法廷内だけでなく、国会議員や報道陣のカメラの前でも繰り返されました。
 このへん、自称元慰安婦の“パフォーマンス”に相通じるものがありますね。

 そうそう、慰安婦といえば、“慰安婦狩り”の捏造証言で有名な吉田清治もこの訴訟で、昭和57年に二度にわたって証言台に立ちました。
 もちろん吉田とサハリン残留韓国人問題とは何の関係もありません。“強制連行”を印象づけるために証言台に立たせたのです。

 ところが、そのうちに妻たちのみんながみんな、心底から夫の帰国を望んでいるわけではないということが分かってきました。
 「夫を返せ」とさんざん泣きわめいた女性が、いざ夫の帰国が実現する段になって、会いに来なかったり、「日本に来られるから(泣きわめいた)」とこっそり本音を漏らす人もいたそうです。

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