【過去】サハリン残留韓国人 日本の“理由なき支援”

2018.11.23 Friday 00:56
くっくり


日本が資金を出して建設した「故郷の村」のアパート(上)と居住する残留韓国人ら(韓国・安山市)

【用語解説】サハリン残留韓国人問題
 戦時中、日本統治時代の朝鮮半島から企業の募集などで樺太(現・ロシア領サハリン)へ渡った韓国人が、戦後にソ連(当時)の方針で出国が認められず、数十年間にわたってサハリン残留を余儀なくされた。日本の民間人の運動がきっかけとなって、1980年代半ば以降、日本を中継地とした一時帰国、さらには韓国への永住帰国が実現した。日本政府は一貫して「法的責任はない」と主張してきたが、日本の一部政党・勢力が「日本が強制連行した上、韓国人だけを置き去りにした」などと、事実無根のプロパガンダを繰り返したために、日本政府は帰国事業などへの人道的支援に乗り出さざるを得なくなり、戦後60年以上たった現在も支援が続いている。


 安倍政権ともあろうものが、何でまた予算に盛り込んでしまったんですか?(T^T)
 あまり知られてない問題だから国民は気づかないだろう、額もそう多くないしいいだろう、とでも思ったんでしょうか。


 韓国の新聞の最近の記事から、一部引用――。

「日本人は朝鮮人を船に乗せなかった」(朝鮮日報5/22)
 2005年10月、この「漢江フォーラム」のメンバーらがロシア・サハリン州にある「望郷の丘」を初めて訪れた。そこからは、韓国と日本を往来する連絡船の寄港地であるコルサコフ(大泊)の港が一望できた。そしてここは、1945年の光復(日本支配からの解放)を迎え、祖国に帰ることを望んだが、船に乗ることができなかった朝鮮人らが涙を流した丘なのだ。
 「漢江フォーラム」のメンバーらはこの日、「望郷の丘」にまつわる同胞らの話を広く知らせるべきだと考えた。金容元会長は「当時、サハリンが日帝の支配下にあり、日本人所有の連絡船だけが往来していた。光復の知らせを聞いた同胞らは埠頭に走り、船に乗ろうとしたが、日本人たちは朝鮮人を1人も乗せず去って行ったという話を聞き、胸が痛んだ」と話した。


 まるで日本人が朝鮮人に“意地悪”をして、船に1人も乗せずに去って行ったかのような書き方をしていますが、でたらめもいいとこです。

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