【過去】ドイツ移民政策の明暗に学ぼう!中国人大量割り込みが日常風景になる前に
2018.11.05 Monday 19:28
くっくり
そこで、先んじて外国人を受け入れたドイツがどんな道をたどったのかを紹介したい。この国の現状こそが、未来の日本を映す「鏡」に見えてならないからだ。
私はドイツで6番目に大きい都市、シュトゥットガルトに住んでいる。ドイツ南部の先進工業地区で、メルセデスとポルシェの故郷でもある。住人の平均収入はドイツでもトップクラス。ゆえに外国人も集まる。
現在、シュトゥットガルトの外国人の割合は2割強だ。すでにドイツ国籍を持っている人や、二世、三世を含めるとほぼ4割になる。それどころか、5歳以下の子供では何と6割。外国人の方が出生率が高いからだ。
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2013年、ドイツの外国人の数は760万人で過去最高となった(連邦統計局発表)。帰化した人たちや、二世、三世を含めると1596万人が外国系。これは約8000万人のドイツ総人口の19.5%にあたり、5人に1人が外国人、および、外国系ということになる(以下、外国人には、外国系のドイツ人も含む)。
外国人の中で一番多いのはトルコ系で295万人。それにポーランド系が約147万人、以下、ロシア系、カザフスタン系と続く。ちなみに、先日のサッカーW杯で優勝を飾ったドイツチームの23人の選手のうち、6人は外国系だった。
1950年代、西ドイツ経済は黄金時代を迎え、労働者が著しく不足した。そこで55年、ドイツはイタリア政府と就業協定を結び、労働者の期限付き誘致に踏み切った。当時のイタリアは国際収支の赤字に喘いでおり、出稼ぎ労働者からの送金は貴重な国家収入だった。
イタリア労働者斡旋のピークは65年で、この1年だけで27万人がやってきた。ドイツ政府はその後、ギリシャ、スペイン、トルコ、モロッコ、ポルトガル、チュニジア、ユーゴスラビアと、次々に就業協定を結んだ。その結果、70年代初頭、ドイツの就労者の1割は外国人であった。
しかし、その頃、すでにドイツの経済成長は止まっていた。オイルショックの起きた73年、政府は出稼ぎ労働者の受け入れを正式に終了するが、そのとき外国人労働者の数は、家族も含めると、すでに400万人に膨れ上がっていた。
私がシュトゥットガルトに来たのは82年。行き過ぎた福祉も相まって、ドイツの経済成長が長い停滞期に入っていた時期だ。失業率は、80〜84年の間で3.3%から8.1%と急増。しかし、仕事が無くなっても、外国人の多くは帰らなかった。それどころか、家族を呼び寄せ、ささやかながらもドイツにしっかりと根を下ろし始めていた。
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