【過去】独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた

2018.09.15 Saturday 00:24
くっくり



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 日本人独特の「自然災害史観」「震災史観」といえば、「正論」最新号(2011年5月号)で、東京大学名誉教授の平川祐弘氏が、外国人目線のこのようなエピソードを紹介しています。

 関東大震災を目撃したフランスの駐日大使クローデルは、妻子の死を知ったにもかかわらず、西洋人ときちんと社交を続け、座を辞する時に「頓珍漢な返事をして御免なさい。すこし気が立っていたものですから」a little excitedと挨拶した日本海軍軍人の話を伝えている。

 クローデルは、非常の際に日本人が示す忍耐心は、地震を体験した国民であればこそ身につけた尊ぶべき特性ではないか、とも観察した。

 フランス人であるクローデルも、日本人独特の「自然災害史観」というものを感じ取っていたようです。

 また、これは地震ではなく火事なのですが、渡辺京二氏が「逝きし世の面影」の中で、幕末〜明治初期、大火によって焼け出された日本人の様子を目撃した外国人の記録を多数紹介しています。

 いくつか引用しますと、まず、明治10年代に日本に滞在したアメリカ人のエドワード・シルベスタ・モース(大森貝塚を発見した人)は、大火の見物に行った時の様子をこのように記しています。

 「この一夜を通じて、涙も、焦立ったような身振りも見ず、また意地の悪い言葉は一言も聞かなかった。特に纏持*の命があぶなくなるような場合には、高い叫び声をあげる者はあったが、悲歎や懸念の表情は見当たらなかった」

*纏持(まといもち)=町火消しの各組の中で、纏3を持つ役の者。火事場では消し口の要路に立った。

 また、フランス海軍の一員として来日したデンマーク人のエドゥアルト・スエンソンは、1866年(慶応2年)の横浜大火直後の様子をこのように伝えています。

 「日本人はいつに変らぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持物すべてを失ったにもかかわらずである」

「日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である」

 スエンソンはこういう日本人を「宿命論者」と呼んだそうです。

 さらに、アメリカ人クララ・ホイットニーは、1876年(明治9年)11月、銀座が焼けた翌朝、火事場を見に行った時のことをこう記しています。

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