鈴木史朗さんが「南京大虐殺」のウソを再び語る

2018.08.24 Friday 00:08
くっくり


 それは日本兵の評判がとても良かったからです。

 日本兵は戦えば確かに強かった。
 それは私たちの世代には昔の大和魂がたたき込まれているからでしょう。
 ともかくやる。
 自分が死ぬことを恐れてはいかん。
 日本のために死ぬことは名誉だ、という意識が徹底されていました。
 でも勇敢ではあっても野蛮ではないんです。
 当時5歳だった私は当時から「自分もいずれは兵士になって出征して完全に玉砕したい」と願っていました。
 それが小さいころからの夢で、幼年学校に入りたいと思っていました。
 父はそんな私に「史朗、兵隊は強いことは大切だけれども、優しく思いやりがなければいけない」と繰り返していました。
 今でも心のどこかにそういう思いが宿っているように思います。

 日本兵が南京を攻略すると、むしろ逃げていた中国人がどんどん戻ってきていました。
 なかには自分で日の丸の腕章を作って、戻ってきたものもいたそうです。
 全然日本兵を怖がったりもしません。
 むしろ、これで安心できるという安堵の表情だったそうです。
 そういう感覚は北京と天津にいても同じでした。
 日本兵は中国兵と違ってどこに行っても現地の人に歓迎されたんです。
 
image[111216nanking1.gif]
[昭和12(1937)年12月17日撮影/「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より/わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民/撮影者、佐藤振壽(毎日新聞カメラマン)]

 規律正しさにおいても庶民に対する態度にしても中国兵とはもう雲泥の差でした。
 女性へのレイプなどありません。
 衛生兵が病気の人を手当してくれたり、物も絶対に奪わない。
 物をもらうときは必ず軍票を渡して「あとでお金に換えることができるから」と言う。
 こうした光景が中国人にとっては信じられなかったんです。
 というのも中国兵は略奪もレイプも散々でしたから現地の中国人から嫌われていたんです。

 特に酷かったのは、脱走するときに中国兵は途中の村を襲って物は盗る、火を放つ、レイプもするで、中には死んだ日本兵の軍服、軍帽をかぶってやる者もいました。

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