鈴木史朗さんが「南京大虐殺」のウソを再び語る
2018.08.24 Friday 00:08
くっくり
アナウンサー 鈴木史朗が語る
【無実の父は、中国に捕らえられた…】
南京大虐殺のウソと引き揚げの思い出
鈴木史朗氏
昭和13年京都市出身。37年TBSに入社。アナウンサーとして報道番組で活躍する一方で、『さんまのからくりTV』内の『ご長寿早押しクイズ』の司会者として人気を得た。
〈南京を訪れた経験〉
私は昭和13年、南京攻略戦があった直後に生まれました。
父が日中貿易会社を天津に設立、北京でも会社を営み、日本軍に軍事物資や援助物資などを届ける仕事をしていました。
私はまもなく母とともに中国大陸に渡り、5歳の時に、父に連れられて南京を訪ねたことがあります。
父の取り引き先か、援助物資を受けたのか、細かなことは定かではありませんが、ご縁のあった南京の素封家に招かれたのです。
5歳の出来事でしたが、街の中心部に中華門と書かれたトンネルのような長い門があったことは明確に覚えています。
暗くて長いトンネルを歩いて抜けると、露店がいっぱい並んでいました。
子供心に「珍しいものばかり売っているなあ」と胸躍る思いだったことを鮮明に記憶しています。
街は平穏そのものでした。
平和で賑わいある街でした。
街を歩いていて中国人から襲われるかもしれないから気をつけなさい、などといわれたことなどありません。
「虐殺」が仮に行われていたのであれば、断片的にもそうした話を耳にするでしょうが、そんなことなど一度もありません。
「虐殺」なんて意識したことすらありませんでした。
だから「爪痕」なんて考えもしなければ、ありもしなかった。
私が招かれた素封家には媽太太(マータイタイ)と呼ばれていた中国人の奥様がいました。
体格もしっかりしていて皆に慕われ、威張ってもいる、日本でいえば肝っ玉母さんのような存在です。
その媽太太が随分、私たちを歓迎してくれました。
私を抱きかかえながら、おんぶまでしてくれて私の耳を「福耳だ」といって褒めてくれました。
媽太太の耳には翡翠の飾り物があって私をあやすたびにちゃらちゃらと音がする。
ほおずりまでしてくれました。
とにかく現地の中国人の対日感情はとても良かったんです。
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