9.17まで拉致を認めなかった政党とメディア…Tweetまとめ18.06.01〜06.15

2018.06.29 Friday 19:08
くっくり


ちなみに平成12年(2000年)の北朝鮮へのコメ50万トン支援は、河野洋平の責任で決めた(本人談)。この人は本物の売国奴だと私は思う。
<参考>河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績 https://t.co/rc5COKuKYb

— くっくり@六四天安門事件 (@boyakuri) 2018年6月14日

 コメ50万トンは、金額にすると1200億円規模です。

 実は当時、森喜朗総理は、「日本人拉致問題が進展しない限り、コメ支援はしません」と、被害者家族に約束してありました。
 にも関わらず、河野洋平氏が「私の責任で決めた」。
 ところが、北朝鮮は翌2001年、拉致問題調査の打ち切りを発表。

 河野洋平氏がその後責任を取ったという話を、私は聞いたことがないし、産経抄子(2018年6月16日)も「寡聞にして知らない」と。

 但し、当時の自民党でこういうスタンスを取っていたのは、河野洋平氏だけではありません。
 産経抄子によれば、

【当時は、政府も自民党も北朝鮮に甘かった。コメ支援に反対する拉致被害者家族らが自民党本部へ陳情に行くと、党幹部が警察署に「建造物侵入だ。追い出してくれ」と要請してきたこともある。初代内閣安全保障室長の佐々淳行さんに聞いたエピソードである】

 その後、政府も自民党も学習し、北朝鮮に対してかなり厳しくなりましたが、河野洋平氏は相変わらず。
 こういうお父さんを持って、河野太郎外務大臣の心中いかばかりか。

image[180628rachi.jpg]

 さて、2002年9月17日から10月にかけての「ぼやきくっくり」を読み返すと、本当にやるせなくなりました。
 当時の左派政党(自民の一部も含む)や左派メディアの拉致問題に対する対応がいかに酷かったかが、記憶の彼方から甦ってきたからです。

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