産経新聞的ちょっといい話(5)(読者投稿欄より)
2018.04.14 Saturday 00:17
くっくり
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【明治150年 命ささげた先人偲ぶ】
2018.1.31
会社顧問 及川靖久(73)さいたま市西区
今年は「明治150年」。
明治維新から満150年の年だが、私にはなぜか遠い昔という気がしない。
両親が明治生まれで、いろいろな話を聞かされて育ったせいかもしれない。
曽祖父は維新の戊辰戦争で、28歳の若さで妻と2人の子供を残して戦死した。
昨秋、私たち4人の曽孫(平均年齢79歳)で、激戦地だった秋田県の刈和野へ百五十回忌を兼ねて訪問した。
菩提寺である本念寺の境内に苔むした墓碑銘があり、戦死者の氏名の中に曽祖父の名もあった。
東北の小藩の一関藩は賊軍となったが、時代が移っても、賊軍の子弟ということで何かと苦い目にあったと父は話していた。
安倍晋三首相の施政方針演説での幕末の話は、胸に響いた。
「降る雪や 明治は遠くなりにけり」という有名な句があるが、この冬の大雪を見ながら、官軍でも賊軍でもなく国造りのために命をささげた先人たちを偲んだ。
【ユダヤ人救った軍人にも光を】
2018.1.30
会社員 増田一郎(54)徳島市
ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人に、日本通過のビザを発給した外交官・杉原千畝(ちうね)。
彼の行為は美談として、今では小学校の教科書にも載っている。
だが、同時代の「オトポール事件」を知る人は少ない。
ソ連と満州の国境のオトポールに、迫害されたユダヤ人がシベリア鉄道でたどり着いた。
ハルビンにいた淡路島生まれの陸軍中将(当時少将)、樋口季一郎は炊き出しを命じるとともに、ユダヤ人を、満州まで入国させる手配をした。
「ヒグチ・ルート」と呼ばれたこの経路で脱出するユダヤ人は増え続け、約5千人にも上ったという。
今日、杉原は称賛され出身地の岐阜県には記念館が建っている。
先鞭をつけた樋口中将が生まれた淡路島には、記念碑もないらしい。
軍人ゆえに建てられなかったのかもしれない。
ユダヤ人の境遇を理解し、弱者を思いやる気持ちは同じだったと思う。
image[180413-01higuchi.jpg]
[樋口季一郎中将]
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