【過去】青山繁晴「アンカー」ペルー日本大使公邸人質事件

2017.09.11 Monday 19:11
くっくり



(いったんCM)

 …………………………VTR開始…………………………

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 ペルー日本大使公邸人質事件。
 日本人が初めて経験した大きなテロ事件となった。

【1996年12月17日 事件発生】

 サヨクゲリラ、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)のメンバー14人が、ペルーの日本大使公邸を襲撃。
 青木大使をはじめとする日本人及びペルー政府関係者ら、およそ600人を人質に立てこもった。
 人質は徐々に解放されるが、最後まで日本人24人を含む72人は拘束された。

 日本政府は事件発生当初からペルー政府に対し、平和的解決を要求。
 当時の橋本総理と、ペルー・フジモリ大統領は解決策を話し合い、一時は犯人グループのキューバへの亡命も検討された。
 しかし――。

【1997年4月22日 武力突入】

 事件発生から127日目、事態は急転する。
 およそ2カ月かけて掘られた地下トンネルから特殊部隊が突入。
 日本政府に一切の事前通告なしに行われた武力突入によって、ゲリラ14人全員が死亡。
 人質となった72人のうち、ペルー政府関係者1人が亡くなったが、奇跡的にも日本人24人は全員無事に救出された。

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 人質とともに喜びを分かち合うフジモリ大統領の姿は、日本でも大きく報道され、一躍ヒーローとなった瞬間だった。

 …………………………VTR終了…………………………

山本浩之(キャスター)
「さ、青山さんの“ニュースDEズバリ”、今日は10年前に起きました、ペルー日本大使公邸人質事件の裏側についての解説ということなんですが、なぜ10年前のあの事件を取り上げられたのか、それも含めて解説お願いします」

青山繁晴
「はい、さっき申しました通り、僕は現地で取材してたんですが、事件の発生直後から、武力突入で終わる解決まで、全部見た記者は僕1人だったそうです。4カ月長く続いたんで、ちょうど時差が昼夜全く逆で、全く眠れない生活が4カ月続くので、普通は交代するんですけど、僕の場合はいろんな事情で、最後まで1人で全部見たわけですね。で、その事件のために共同通信を結局辞めたんですけども、今に至るまでの10年間、あの事件の武力突入は間違いだったとずっと言ってきたんです」

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