【緊急拡散】奥茂治さんを支援しよう【吉田清治謝罪碑『書き換え』】※追記あり
2017.06.30 Friday 17:59
くっくり
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ここで、奥茂治さんが韓国出国禁止に至った経緯を簡単に説明しておきます。
事の発端は、吉田清治が、昭和58年(1983年)12月、韓国・天安市の国立墓地「望郷の丘」に「謝罪碑」を建てたこと。
これは、【たった一人の謝罪】(朝日新聞、昭和58年12月24日。平成26年8月5日に朝日が取り消した16本の記事のうちの1本)をはじめ、各メディアで大々的に取り上げられました。
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[天安市の国立墓地「望郷の丘」に吉田清治が建てた「謝罪碑」。画像は産経ニュース 2017.5.13 19:26 より]
吉田清治の長男は、この「謝罪碑」を撤去したいと考えました。
「…父が発信し続けた虚偽によって日韓両国民が不必要な対立をすることも、それが史実として世界に喧伝され続けることも、これ以上、私は耐えられません。
吉田家は私の代で終わりますが、日本の皆様、そしてその子孫は後に遺されます。いったい私は吉田家最後の人間としてどうやって罪を償えばいいのでしょうか。今日に至るまでそのことをずっと考え続け、せめてもの罪滅ぼしに決断したことがあります」
決断とは、「父・吉田清治が韓国に建てた『謝罪碑』を撤去すること」でした。
ただ、長男が韓国に出向いて直接撤去に動けば、想定外のことが起きる可能性もあります。
そこで長男は、元自衛官の奥茂治さんに相談し、代理人を引き受けてもらうことになりました。
碑についての権限は遺族にあり、長男の代理人が手を加えることは、韓国の法律上、問題はないと、当初は考えられました。
長男の望みは「謝罪碑」の『撤去』でしたが、奥茂治さんが現地を確認したところ、物理的にそれは無理だという結論に達します。
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