終戦時の今上陛下にまつわるエピソード

2006.12.24 Sunday 02:55
くっくり



 殿下は黙って、いちいちうなずいておられたが、そのお顔色にははつらつたる生気をとりもどし、堅いご決意のほどがそのご様子にありありとうかがわれた。東園基文侍従の話によると、殿下はその日の日記に、堅いご決意のほどをしるされていたとのことである。

殿下を人質として拉致

 八月十六日の午前中、憲兵隊から、アメリカ軍が本土に進駐してきた場合、殿下を人質としてアメリカ本国に強制拉致するという情報を入手した、と報告があった。私もひそかに憂慮していた矢先で、不確かな情報とはいえ、あり得べきこととして、さっそく田中少佐とその対策を検討した。

 無条件降伏といっても、アメリカ軍が進駐して具体的に何をするのか、皆目見当がつかなかった。ただドイツ降伏の前例から、戦争指導者が戦犯として逮捕され、佐官級以上がその該当者に指定されるだろうという流言が飛んだ。

 情報のとおり、殿下を強制拉致されるとすれば、これは国体護持のため、いかなる手段を講じても阻止しなければならない。この点に関してはもちろん田中少佐も同意見であり、相談の結果、次のように決めた。

 もしアメリカ軍が湯元にきて、殿下を強制的に拉致しようとした場合、お身代わりの生徒を用意しておいて、これを差し出し、殿下はおしのびで湯元から裏日光の間道を経て、会津若松にご避難していただくこと。

 翌日さっそく、将校斥候を出して道路偵察をさせた。将校斥候の報告によると、

 一、自動車はまったく通らない。
 二、馬は途中までは通れるが、湿地帯があって通れない部分が多い。
 三、駕籠とご徒歩ならば、相当の困難はあるがまず可能である。

 ということであった。

 結局、急造の駕籠とご徒歩で会津までおでかけになるより、方法がないということになった。駕籠は儀仗隊の兵隊が交代でかつぐことにした。

 すると黒木侍従が、

 「殿下が会津若松にお移りになることは、この際やむを得ない処置だと思いますが、学友をお身代わりに立てて苦境に立たせ、殿下のご安泰のみを図るということは、卑怯な行為として後世のそしりを受けるのではないか」

 と異議をとなえた。そこで私は、

 「殿下は、わが国にとってはかけがえのないお方であります。お身代わりに立つ生徒も、父兄も、君国のためによろこんで引き受けてくれると思います。否むしろ一世一代の光栄と存じ進んで希望すると思いますし、世間も立派な行為として称賛することはあっても、卑怯な行為として後世のそしりをお受けになるようなことは、わが日本国にあっては決してないと信じます。ゆえにぜひこの案にご同意をお願いいたしたく存じます」

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[Serene Bach 2.04R]