2017.04.06 Thursday 00:39
くっくり
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
横浜での記述
「政府はアジア的、専制的にして偶像崇拝的だ」というグリフィス教授[福井藩の招聘で一八七〇年に来日したウィリアム・E・グリフィス?]の見解からはじめるのは、たぶん賢明ではないでしょう。わたしの受けた第一印象は、この国はよく統治されているというものです。上陸したとたん、サンパンや人力車の料金表、掲示板の公告文、きちんとした警察官、乗り物の提灯、外国貨幣の拒絶、郵便規則などなど、「規則」に出会うのですから。それにこれも言わなければならないでしょうか。ぼられることがまるでないのです!
「イザベラ・バードの日本紀行(下)」より
日本人の性格で評価すべき二点は、死者に対して敬意をいだいている点と、あらゆることに気を配って墓地を美しく魅力的なものにする点である。東京の墓地の美しさは京都のそれには及ばないとはいえ、多くある墓地はどれもみな手入れが行き届いている。
また歴代将軍が「栄光のなかに眠っている」芝や上野の豪奢な廟から肉体労働者の遺骨の眠るつつましい墓に至るまで、死と生のあいだには厳格な差異はなく、「すべての生者に約束された家」はきちんとして、装飾が施され、そこに眠る者が生前占めていた地位に適ったものとなっている。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
日光、入町での記述
午前七時には太鼓が鳴り、子供たちを学校に集めます。校舎はイギリスならどの教育委員会をも辱めないものです。西洋化しすぎているとわたしは思いましたが、子供たちは現地式に床に座るのではなく、椅子に腰をかけて机に向い、とても居心地が悪そうです。学校の設備は非常によく、壁には上等の地図が掛かっています。教師は二五歳くらいの男性で、黒板を自在に使ってどんどん生徒に質問していました。イギリスと同じように、いちばんいい答えを返した生徒はクラスの首席に移動します。
服従は日本の社会秩序の基本で、家庭で絶対服従に慣れている子供たちが相手なので、教師はなんの苦もなく生徒を静かにさせたり、自分のほうに注目させたり、言うことを聞かせたりできます。教科書を懸命に読んでいる子供たちの大人びた顔には、痛々しいまでの熱意があります。外国人が教室に入ってくるというめったにないできごとがあっても、生徒たちはよそ見などするものではありません。
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