2017.04.06 Thursday 00:39
くっくり
「日本奥地紀行」より
明治11年、京都を訪れるのに神戸から三等車に乗った時の出来事(邦訳本では省略)
…というのは“庶民”がどんな風に振舞うか、とても見たかったからだ。座席の区切りは肩までしかなくて、もっとも貧しい階層の日本人ですぐ満員になった。旅は三時間続いたが、人びとのおたがいと私たちに対する慇懃さと、彼らの振舞い全体に私は飽きもせず目を見張った。美しかった。とても育ちがよく親切だった。英国の大きな港町の近傍でたぶん見かけるだろうものと、何という違いだろう。日本人はアメリカ人のように、きちんとした清潔な衣服を身につけることで、自分自身とまわりの人びとへの尊重の念を現すのだ。老人と目の見えぬ者へのいたわりは、旅の間とてもはっきりと目についた。われわれの一番上品な振舞いだって、優雅さと親切という点では彼らにかないはしない。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
来日時、江戸湾を北上中の記述
甲板じゅうで歓声があがっていたものの、わたしにはずっと探しても富士山が見えなかったのですが、ふと陸ではなく空を見上げると、予想していたよりはるか高いところに、てっぺんを切った純白の巨大な円錐が見えました。海抜一万三〇八〇フィート[約三九八七メートル]のこの山はとても淡いブルーの空を背に、海面の高さからとても青白い、光り輝くカーブを描いてそびえ立ち、その麓(ふもと)も中腹も淡いグレーのもやにかすんでいます。それはすばらしい幻想のような眺めで、いかにも幻想らしくまもなく消えてしまいました。やはり円錐形の雪山であるトリスタン・ダクーナ山はべつとして、これほどその高さと威容を損なうものが付近にも遠くにもなにひとつない、孤高の山は見たことがありません。日本人にとっては聖なる山であり、飽くことなく芸術作品の題材とするほど大切にしているのもふしぎはありません。最初目にしたとき、この山はほぼ五〇マイル[約八〇キロ]のところにありました。
空気も海も動きがなく、もやは静止し、薄墨色の雲が青みがかった空にゆったりと浮かび、水面に映った漁船の白帆はほとんど揺れもしません。なにもかもが淡くかすかで青白く、わたしたちの船が乱れ狂う泡を残してどかどかと騒々しく進んでいくのは、眠れる東洋に乱暴に侵入するようなものでした。
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