2017.04.06 Thursday 00:39
くっくり
最初の休憩地で、人がよくて親切ながらもとにかく醜いわたしの車夫が苦痛に襲われ、吐きました。粕壁で飲んだ水に当たったのが原因だと車夫は言い、そこに残りました。ありがたいことに向こうから実直に、自分と同じ条件をきっちり守る代わりの車夫を用意すると言い出してくれて、病気だからとチップを要求しませんでした。本当に親切で世話になったので、具合の悪いまま置いていくのはとても悲しいことでした。
たしかに車夫にすぎないとはいえ、帝国民三四〇〇万人のほんの一粒にすぎないとはいえ、天にまします父なる神にとってはほかに劣らず大切なひとりなのですから。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
会津の高田近辺での記述
馬に乗ったあと、わたしは鞍の突起に掛けてあるケースから望遠鏡を取り出しかけました。すると、例によって野次馬が老いも若きも全速力で逃げまどい、子供など急ぎあわてるおとなに押し倒されています。伊藤(注:通訳)が言うには、みんなわたしがピストルを取り出して脅そうとしていると思ったとのこと。わたしは伊藤にそれがなんであるかを説明してもらいました。というのも、彼らはおとなしくて害がなく、いちいち腹を立てていたら、こちらが真剣に後悔しなければならなくなる、そんな人々なのです。
ヨーロッパの国の多くでは、またたぶんイギリスでもどこかの地方では、女性がたったひとりでよその国の服装をして旅すれば、危険な目に遭うとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、値段をふっかけられたりするでしょう。でもここではただの一度として不作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともないのです。それに野次馬が集まったとしても、不作法ではありません。
馬子(マゴ)はわたしが濡れたり怖い思いをしたりしないかと気を遣い、旅の終わりには革ひもやゆるんだ荷がすべて無事かどうかを几帳面に確かめてくれます。そして心づけを当てにしてうろうろしたり、茶屋でおしゃべりをするために休憩したりなどせず、さっさと馬から荷を下ろすと、運送業者から伝票を受け取って帰っていきます。ついきのうも革ひもが一本なくなり、もう日は暮れていたにもかかわらず、馬子は一里引き返して革ひもを探してくれたうえ、わたしが渡したかった何銭かを、旅の終わりにはなにもかも無事な状態で引き渡すのが自分の責任だからと、受け取ろうとはしませんでした。
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